結局、ハナミズキは枯れてしまった。私も同じように...
花水木
【 1999年7月記載】
織田信長は本当に賢い戦国大名だったのだろうか。天下を統一するに相応しい人物だったのだろうか。
玄関脇にある花水木が枯れ木のようになってしまって、1年以上が経つ。昨年の春、グランドピアノを購入した際、玄関横の庭に防音室を建てた。このとき、そこに植えていた花水木を建築業者に頼んで抜いてもらったのだが、私の体調もあまり芳しくない事から、そのまま1ヶ月以上も放置していた。防音室の工事が終わった後で、玄関横に植え直してやったのだが、少し芽が出かけてそのまま枯れた。それから1年、この春先に芽が出そうになっていたのだが、結局出ずじまいで、全く枯れたようになってしまっている。
先日、社長をはじめ会社幹部が、組合執行委員に研究開発内容を紹介するという催し物があった。開発品の展示についての事前確認の場で、こともあろうに研究所長からこっぴどく怒られてしまった。開発方向の見直しをかけていた浴室マッサージ機を展示していたのが原因であった。要は、「所長として、このマッサージ機はPL法に照らし合わせて考えると、商品としては成り立たないものと判断した。その旨は副社長にも伝え、賛同を得ている。なのに何故、まだこの場に展示しているのか。見てみろ、副社長も怒っているではないか」というものであり、さらには、「だから奈良の室長は信用が置けない。徹底的に教育をしなおさなくてはならない」とまで言われてしまった。
一体いつからマッサージ機の開発はストップとなったのか。まさに寝耳に水である。また何故マッサージ機はPL法に抵触し、危険なのか。その解決方法はないのか。あまりにも短絡的に決めつけているし、指示もきちっと伝わってはいない。テーマ管理の仕組みなどあっても無きが如しだ。唯一はっきりしているのは、所長の判断基準はすべて上司の意向によるということである。社長なり、副社長が、「こうせよ」「ああしろ」と言った事がすべてであり、社長や副社長に叱られないようにする事が、第一にあるのである。自分がどうしたい、自分の夢はこうである、私はこういう商品を生み出していきたいといったメーカーR&D部門トップとしてのビジョンはないのである。あるのは研究所長になりたいとか、社長になりたいとか、人から尊敬される権力ある地位に就きたいといったものしかないのではなかろうか。一般に言うところの出世欲しかないのではないか。自ら提案していく運営ではなく、常に社長や副社長を気にするマネジメントでは、勢い滅点型の管理になってしまう。
「○○○をしろと言っていたのに、何故していないのか」
「いつも指示には素早く応えてくれて、なかなか素直で良いじゃあないか」
「いつも何処に行っているのか、電話してもいないし、勝手に動き回るな」
「私の指示していない事はするな。何かするときは必ず報告すること」
結局、室長は全員、出張するにしろ、私用で休むにしろ、早く帰宅するにしても、いちいちお伺いをたてなくてはならなくなってしまった。雁字搦めの管理になってきた。或る大阪の主席技師が、幾度となく私に向かって嘆いていた。
「とにかく、私はもう何も言わない。自分の考えを主張しても、反感を買うだけで何一つ得にはならない。今はじっと貝のように殻を閉じて、我慢するだけだ」
まさに、そのような状況なのだ。人の評価もまた同じである。とにかくイエスマンを評価する。そういう風土に成ってしまっているのだろう。大阪から来た奈良総括のHさんも、人を見るとき、いつも口から出てくるのは
「あいつはなかなか見込みがある。いつも素直に言うことを良く聞くいい奴だ」
自分の考えというものを持たないがゆえに、個性豊かな人材に対してアレルギーがあるのだろう。所長からの指示を受け、それをそのままやろうとすると、いつでも素直に聞き従う部下がいれば、どれだけ楽なことか。
「何でやらなければならないのか」
「こうするよりも、もっと違う事をするべきではないか」
といったような態度をとる部下の場合、自分の考えが無いと説得できるものではない。自然と手におえなくなって、いつも言うことを聞かない反抗的な奴やなあとなってしまう。
“人は自分の能カが発揮できなくなる地位にまで出世する”とは言うけれど、トップに立つ人間が、その能力を十分備えていないとしたなら、部下は大変だ。上に立てば上に立つほど、もっと広く、もっと働く人の事を考えて、ものごとを判断し、進めて行かなくてはならないのに、なかなかそういう人物はいないみたいである。権力に固執していては、組織が大きくなればなるほど、大局的なものの見方は返ってできなくなるのか。上に行けば行くほど、部下に任せる仕組みをつくっていく必要があるのではなかろうか。
一度ならず二度までも、所長に怒られたときは流石にこたえた。病弱な体を酷使して、これだけ一所懸命に朝から晩まで頑張っているのに、それはないだろう、と。こんな分からず屋でわがままな所長はいない。きっと所長は私を嫌っているのだろう。遅かれ早かれ、もう何処かへ飛ばされるに違いない。いっそのこと、何とかして所長を引きずり落とす手段はないものかとまで思ってしまった。
全く同じなのである、明智光秀の気持ちに。この時ほど、光秀の気持ちが良く分かったような気がしたことはなかった。部下の立場や気持ちを十分理解せず、一方的に怒りまくるのは、どう見ても賢い経営者とはいい難い。1回怒鳴りつける事によって、それまで培ってきた部下の自信は一遍に吹き飛んでしまう。人を潰すのは簡単だ。そのとき、どれだけ自分が萎縮しているのか、私自身手に取るように、良く分かった。
梅雨があけかけた七月の上旬、思いがけず花水木に小さな芽が出た。それから1週間もすると、新しい芽の数は四つ五つと増えてきた。毎日の出勤時の楽しみになっていたのだが、その葉っぱもこの夏の暑さからか、枯れ出した。やっぱりこのまま芽が出ずに終わってしまうのか。否、再び蘇る強い花水木であって欲しいと願うばかりである。

