宗教は本当に必要なものなのだろうか...哲学は要ると思うのだけれど

西本願寺

【2026年2月記載】

私は学生の頃、東本願寺と西本願寺は全く同じものだと思っていた。そして京都駅から市電ですぐそこにある東本願寺の方にどちらかというと親しみを覚えていた。また、東本願寺近くの東洞院通にあった油屋旅館は、大阪万博や入試の時にお世話になっていたし、毎年冬に行われる報恩講の時には門徒がたくさん宿泊するため旅館の手伝いに行っていたこともあり、どうしても東本願寺に意識は行っていた。

しかし、次男の入試をきっかけに龍谷大学のある西本願寺に興味を抱くようになった。また、養子になった妻の実家の菩提寺である照林坊(亡くなった義父は門徒総代を務めていた)が西本願寺派であることから、近ごろは専ら西本願寺の方に関心がいくようになっていた。

そんな中、西本願寺 書院・飛雲閣の特別公開があったので、妻と二人で出かけた。”僧侶が案内する特別拝観”と銘打っているだけに、とても分かり易く内容の濃い見学をすることができた。

まずは講話から始まり、書院をひと回りし、飛雲閣を外から眺めるというもので、普段は非公開の文化財をじっくり味わうことができた。

書院は、大広間、障壁画、能舞台、庭などからなり、二条城にも似た豪華さがあった。大広間「対面所」は、格式を重んじた構成で、地位に合わせて着座位置がはっきりしているし、欄間や障壁画には煌びやかな装飾が施されていた。また能舞台も北と南に現存しているが、かつては大広間の中にも能舞台があったという。その多くが国宝や重要文化財であり、その当時の権力や財力を窺い知ることができる。

私は親鸞を深く理解しているわけではないが、それはどんな人でも念仏を唱えることにより救われるというもので、人間の弱さを受け入れた分かり易い教えである。宗教というものは、一般の人々(特に弱者)を救うもので、身分の違いとか貧富の差によって区別されるものではないし、弱者には手厚い支援をするものだ、と私は考えていた。しかし、西本願寺では、僧侶たちがこのような環境の中で暮らしていたのかと思うと、宗教とは何かとあらためて問いたくなるのを抑えきれなくなってしまった。

時の権力者にも匹敵するような豪華絢爛な建物の中で、格式によって人々を区分けし、いくつもの能舞台を設けて能に興じていたのかと思うと、親鸞の教えは一体何だったのかと考え込んでしまう。

私の学生時代の頃は、報恩講法要には地方から多くの門徒が駆け付け、お参りをしていたし、それによって本願寺やその周りの宿屋や商店は活気に満ちていた。いわゆる門前町として。しかし、今はその行事も廃れ、往時の賑わいはどこかに消えてしまったようだ。本願寺の門徒が離れてしまったということなのか…。

今でも我が家は照林坊にお世話になっているのだけれど、御院家は西本願寺での高い地位に胡坐をかいているのだろうか、お布施の要求はしっかりするのだけれど、法事等での講話は聞けたものではないし、門徒に寄り添うという姿勢は感じられないので、信頼は全くと言っていいほど有りはしない。女性関係のうわさは聞くが、遊んでばかりで、仏教に関する知識に乏しいことは明らかである。このように浄土真宗の基盤が危うくなっているように感じていたので、なおさらのこと本願寺の在り方には疑問を抱いてしまう。

そう言えば、今回の特別拝観だって、昔ではとても考えられなかったもので、そうでもしないとお布施だけでは成り立たなくなっているという証なのだろうか。

人々を救う教えがとても良いもので、それが庶民に広まり人が集まることによる富の集積が進むと、そこにはおのずと財力と権力が生まれ、それを利用し安住する輩によって、人々は操られるようになる。教えを信じているがために…。宗教は圧倒的な権力を持つことができる。

作今の統一教会にダブって見えたのは、私だけだったのだろうか。