この後さらに辛くなるのだが...なにがあっても自分の良かれと思う道を歩むしかない

豊かな人生

【2003年5月記載】

 どうしていつも認められないのか。悔しくて仕方がない。戦略事業創造チームが発足して1ヶ月が経った。このチームは新規事業を立ち上げるための組織であり、ホームアプライアンス分野の新しい事業を創り出す仕組みづくりをめざしたR&Dの構造改革に繋がるものでもある。そんなことは当然分かっているはずである。しかし技術本部長は、現在技術本部より事業部へ引き継いで事業化に向けて推進しているガスメータやヒートポンプ給湯機の進み具合がとても気になるようで、これらのプロジェクトへの支援を戦略事業創造チームに求めてきたのだった。

 この半年間、新規事業創出に向けての組織改革をしようと、IBMにコンサルティングをしてもらい設定した目標や活動内容とは随分方向がずれてきた。社長の意向にもよるのだろうが、足下のプロジェクトの行方がとても気になるようだ。目先の成果にこだわり始めたのである。経営上の優先性は企業トップが決めるのだから仕方がないのだけれど、私たちが現状報告をした時には如何にも承認したかのように振舞っておいて、その直後に私たちの進め方を否定するようなことをしてはいけない。しかもまったく関係ない研究所の所長にその変更命令を間接的に言わせるようでは情けない。心のどこかに後ろめたい気持ちがあったのだろう。

技術企画グループのMさん、戦略事業創造チームのWさんそしてIBMのNさんたちと活動計画の変更を議論していくうちに、目頭が熱くなってしまった。悲しくてやり切れなくなってしまった。思い起こせば、ここ数年間、いつもいつも悔しい思いをし、また自分の力が十分発揮できないことに憤りも感じてきた。夜遅く家路を急ぐ道々で、何度ひとり愚痴を吐いたりわめいたりしたことか。会社生活での夢が砕け、何度となく生きていく目的を問い直したことだろう。でもだからといって、私の人生はつまらないものだったのだろうか。否!違う。それはそれで面白かったのではなかろうか。決して楽しくおかしく心地よいものばかりではなかったけれど、たくさんの出来事があって、普通の会社人生よりは面白かったと断言できるのではなかろうか。

 夜もろくろく眠れない。うなされ、その度に起き上がり、じっと天井を見つめたことも幾度となくあった。同僚に、さらには後輩にも先を越され、目を伏せて歩いたこともあった。けれどそれらを克服し、ひとたび平静な状態に戻ると、何とかやっていけた。置かれる立場が良くなったり悪くなったりして、感情の起伏が大きく揺れても、それが私にとってとても貴重な経験となって帰ってきた。順風満帆の出世街道を突っ走っていたけれど、いつの間にか大きく道を逸れて、でこぼこの荒地をひとり歩いているような状態ではあるが、この間の変化は大きく、たくさんの事を知った。たくさんの感情を覚えた。

 今回、とても悲しい気持ちになったけれど、心の片隅に「いつか元に戻れるんだ。また平静な気持ちになれるんだ」という確信めいたものがあった。だから悲しみがある一方で、心のどこかでそれを楽しむゆとりもあった。こういった大きな波が押し寄せてくることにある種の満足感を抱いていたように思う。人生というもの、変化がなければ楽しめない。その人の人生がどのようなものであったのかを問いかける時、たとえば、いい人生だったのか、そうではなかったのか、楽しい人生だったのか、悲しいものだったのか、充実した人生だったのか、何をしていたのか分からないものだったのか、人生についてはいろいろな捉え方があるだろう。その際、限られた時間の中で、限られた空間の中で、それらをどれだけ上手く使って、言い換えれば、効率的に使って、あるいは効果的に使って人生を味わうかが大切である。したがって、できるだけたくさんの事を体験していくことは意味のあることであり、幸せな人生、豊かな人生をおくる上でのひとつの指標になるのである。

 お金があれば時間もうまく使えるし、いろいろな場所に行くこともできる。豊かな人生を送るための有利な条件であることは間違いない。そしてお金があればいろいろな人に会えるし、生活の選択肢も多くなり、より様々な体験ができる。そう、いろいろな感動を得る事ができるのである。豊かな人生を送るということは、空間や時間に加えて、より多くの感動を味わうことである。むしろより多くの感動を味わうために、空間や時間をうまく使おうとしているのである。

 感動イコール感情の起伏の大きさとも言えるのではなかろうか。そう考えると、世間一般に言われている幸せな状態で何の変化もなく一生を送る場合、これはこれで良い人生であるけれど、一方で、決して普通の状態ではないけれど困難な状況におかれたり、俗に言うところの不幸を味わったりしながらも、何とか幸せになろうともがき喘ぐことは、あながち全くつまらない人生でもなさそうだ。むしろそれを克服して少しでも良い状態になれば、心の変化は大きく、充実した人生を送ったということにはならないだろうか。

 私たち一人ひとりの置かれている状態は違うし、また誰もが平穏な生活が送れるとは限らない。しかしその中で少しでもその状態を変えようとして努力していくことは、結果としてより豊かな充実した人生を送ったことになるのではなかろうか。より豊かな人生のためには苦しいことも辛いこともマイナスであると思い込まないことだ。