あり得ないことが起きる..時には人間もバグる

安全

【2008年10月記載】

庭木の剪定中に、庭木バリカンで負傷してしまった。左の人差し指を抉ってしまった。結構傷は深く、10日も経つというのに、今だにバンドエイドを貼らなくては傷口が開きそうで不安な状態だ。

新築当時(およそ25年前)は、生垣にプリペットを使うのが流行っていて、しかもプリペットは葉が小さく色も薄いので、スマートでお洒落に見えた。だから、とても気に入って植えた。しかし、この木はなかなかの厄介者で、すぐに枝葉が伸びてくる。だから、頻繁に剪定をしなくてはならない。GW、夏休み、秋口の3回に加えて、その間にも2、3回程度剪定するので、計5~6回は木を切ることになる。新築当初は、この剪定がとても苦痛になっていた。というのも、当時は庭木バリカンではなく刈り込みバサミを使用していたので、結構体力を使うし、我が家の前はこの町内では人通りも多く、目立ちやすい。そして何よりも、剪定した後の枝葉を掃除するのが面倒で、嫌だった。しかも道の真ん中に出て掃除をしなければならなかったので、否が応でも目立つ。

それがこの4、5年は、苦痛にならなくなった。むしろきれいにした喜びや達成感があり、とても充実した気分になれる。それは刈り込みバサミを庭木バリカンにしたことによる省力化や時短化の効果も大きいが、以前のように目立つことに対する羞恥心が無くなったのが大きい。

では、それは何故なのか。目立つことが良い事だと感じたからである。同じ町内に住んでいる人たちと顔見知りになることはとても有意義なことだと考えていた。できれば、趣味を通じてとか、自治会の世話役とかで、格好よく近所付き合いが始まればいいのだが、現役ではそれもなかなか難しい。ところが思いのほか、ご近所で、私は知られているらしいことが分かった。庭木の剪定で。

目立たないように、目立たないようにしていても、やっぱり目立つのだ。それも、とてもいい印象で。一所懸命に、こまめに、手際よく作業をしているので、「いいご主人だ」というのである。ひょっとして、そういうことにして私をうまく利用しているのかもしれないが、妻から聞く、ご近所の評判は概して良い。だから、最近は、積極的に、かいがいしく働くようにしている。できるだけてきぱきと働いている様子をオープンにしていくように心掛けている。だから、気持ちよく剪定ができるようになった。家の前を通る人にも、積極的に挨拶できるようになった。ということで、剪定作業は、私の楽しい仕事のひとつになった。

今回も、いつものように、意気込んで剪定作業に入ったのであるが、3分の2程度が済んだところで、思わぬ事故にあってしまった。庭木バリカンは、威力はさほどでもないのだけれど、やはり小指程度の枝であれば、何とか切り落としてしまう。刃に指を突っ込んだら、大変なことになるのは、誰にだって分かることだ。でも、何故かしら、その先端部を掴んでしまったのである。庭木バリカンを持った右手を支えるような感じで、うっかり左手を差し出してしまった。庭木バリカンを使い出して、10年以上は経つ。あまりにも慣れきってしまって、油断があった。歳をとってきて、日頃の疲れがなかなか取れない状態で、ボーッとしていた。などの理由はあるにしても、現実としては有り得ないと思っていたことが起こったのである。

頭の中で考えていることと、実際に動くからだとの関係はどうなっているのだろうか。おそらく頭の中で、「こんな動きをしたい」という指示が、大脳皮質から発信され、神経を通って、必要な筋肉に行き渡り、必要な行動ができるのであろう。しかし、私たちは、常に事細かな事を考え指示しているのではなく、ある程度のこと(日常的な行動)は自然に、今までの経験上から行っている。これが、体調が悪い時とか、精神的に不安定な時には、神経の伝達経路でバランスを崩して、普段では考えられない行動をしてしまうことになるのではないか。

その時私は、庭木バリカンを持った右手が、重く感じたのを覚えている。そして、なんとなく、それを助けるかのようにして、左手で庭木バリカンを持ち上げようとしたのであった。振動している刃を持つことの危険性を忘れて。歳を重ねるうちに、慣れと同時に、体力的な衰えもあり、庭木バリカンを右手だけでは支えきれなくなっていたのだ。

体力の衰えというものを考えなければならない歳になった。