22年前に予見できていたのに、それができていないのは何故だろう...私たちは考える力が無いのか
新聞広告
【2003年1月記載】
2003年元日。毎年のことだけれど、元日の新聞は大変重い。年の初めということもあり、各新聞社とも特集記事を載せるので、いつもの3倍から4倍の分量になる。併せて折り込み広告の量がそれ以上に挟んである。1年のうちで一番情報量の多い日となる。
しかし今年はいつもと違う。新聞の内容は相も変わらず新年にかける抱負か夢に関する記事に終始していたのだが、広告の中味が全く違っていた。広告内容そのものは、衣類、食品、住まい関連、自動車等いつもどおりのものであったのだが、それらの初売りの日が数年前に比べて全く違ってきている。5、6年も前なら子どもたちがもらったお年玉で何を買おうかと開いているお店を探すのにも苦労したように、正月の三が日は小売店のほとんどは閉店していた。しかし今年はそのほとんどが元日より営業しているというのである。元日より営業開始の広告は28件、2日以降よりの営業は14件となっていて、多くの小売店では正月休みがない状況のようだ。
うーん、不況なのだろうか。小売業は一所懸命何とか売ろうと努力している感じがする。しかし私たち消費者は、できるだけ無駄なものは買わないようにと心掛けている。買わなければならないものは、少しでも安いものはないかと、探しまわる努力は厭わない。世の中、一時のバブル的浪費風潮から倹約傾向になっているのは間違いない。
高度成長期からオイルショック、円高不況、バブル景気そして今日のデフレ不況と、景気の動向は10年から15年くらいの周期で変わっている。それに伴い私たちの消費意識も、その時の景気を反映して、浪費、倹約、浪費、倹約と都度変化してきた。一方、働く度合いはどうなってきたのだろうか。高度成長期はモーレツ社員という言葉に代表されるように、ただひたすら残業、休日出勤も何のそので頑張った。オイルショック時も、円高克服のために昼夜を問わず働いた。ようやくバブル期になって、労働時間短縮に向けての取組みが始まった。しかしそれとて残業や休日出勤を著しく抑えることは出来なかった。そして今の不況である。一体、何故にこうもみんな忙しく働き続けているのだろうか。
確かに高度成長期からバブル期にかけては、一所懸命働いてどんどん良い商品、すなわち値段が安く、性能の良いものを作って売ればよかった。働く時間の長さがモノを生み出す量に比例し、その分、私たちの収入も増えた。しかしモノの豊かさを求める時代は終わりを告げ、私たちのくらしの中にモノは有り余るほどになってきている。それでもなお依然として企業はモノを作って売り続けようとしているし、私たちはモノを買うことによって欲求を満たそうとしている。本当に必要なものかどうかを見極めようとすることなしに…。今日多くのモノは中国を中心とする国外の安価な製品が入ってくるようになり、徐々に国内での生産量は低下していくばかりで、私たちの働く場所も少なくなりつつある。
一所懸命働いて、モノを作りつづけ、豊かになってきたのだけれど、このままの状態でさらに豊かさを謳歌することはできなくなってきた。モノだけで豊かになれるわけではないと分かっているのに、相も変わらずモノを求めて、モノを求めることで豊かさを得ようとしているのが私たちであり、この正月の新聞広告の件を見ても、それは明らかであろう。
もういい加減に、モノの世界から離れようではないか。企業も、消費者も。モノを求めてこれ以上働き続けるのは決していい事ではないはずだ。モノ作りはそれを生産するのに適したところでやればいい。中国で作って輸入してもいいじゃあないか。その分国内では、海外では作れないもの、住宅設備システムや生活文化製品、生鮮食品などを作ればいい。もっと娯楽を含めた生活文化的なものを生み出していかなければならない。みんなすでに分かっているはずなのだろうけれど、ワークシェアリングによって仕事を分かち合い、無駄なものは作らない。余った時間で人生を楽しもう。人生を楽しむためには、モノばかりを求めていてはすぐに飽和してしまう。もっと創造的な、文化的な価値が重要視されるべきであり、そういったものへの欲求が高まってくるはずだ。そうすれば自ずとソフト的商品のウエイトが高まり、今までの価値観は変わってくる。
モノが売れないからと、元日からモノを売ればいいというものではない。ましてや売上が伸びないからと閉店時刻を遅くしたり、定休日をなくしてとにかく店を開けていれば売れるというものではないはずだ。顧客サービスという点ではいいのだろが、長い目で見れば売れる数には限りがある。従業員に無駄な努力をさせて、業績アップをはかろうとする経営者があまりにも多いのではなかろうか。従来の価値観で、従来と同じような努力をさせてはいないだろうか。努力することの質の変革が求められているように思う。それがクリアになりさえすれば、より新たな成長が見込まれるというものだ。今、私たちは努力がより閉塞性を助長するという悪いサイクルの中にいる。