新しいものを取り込んで時代についていってると思ってるけど、本質的には古い人間なんだ...

昭和に生きている

【2025年7月記載】

孫の世話をするため、妻と二人で7月の初めに東京へ行くことになった。いつも上京するのを楽しみにしていて、今回はその途中で熱海と鎌倉に寄ってみることにした。私はまだどちらも訪れたことがないので。

私の中では、熱海といえば温泉はもちろんであるが、熱海海岸であり、寛一お宮が脳裏に浮かんでくる。ネットに上がっているモデルコースを参考にしながら、熱海海岸を散策し、寛一お宮の像に行ってみた。

「熱海の海岸散歩する寛一お宮の二人連れ♬…」東海林太郎の歌う金色夜叉の歌詞が自然と湧いてくる。しかし、妻は知らないという。私と同世代と思しき女性グループが楽しそうに記念写真を撮っていたが、それ以外はとても静かであった。歌のイメージとしては明治から昭和初期の時代なのだろう。

翌日はその足で鎌倉を訪れた。鎌倉といえば当然のごとく円覚寺舎利殿であったが、ネット検索で円覚寺は、鎌倉観光の目玉スポットとして上位には出てこない。一度訪れたことのある妻でさえ知らなかったのも意外であった。高校入試には必ずと言っていいほど出題されていた円覚寺舎利殿が、観光名所の片隅に追いやられているのだから…信じられない。

円覚寺舎利殿は非公開となっていて拝観できず、門の外から外観を眺めるだけであり、一部分だけだけれど、実物が見られたということで納得するしかなかった。ところで、舎利殿は建築物としての評価が変わり、教科書には載らなくなったようである。

孫の世話をした後、東京でまだ妻が訪れていない場所の中から、上野公園の近くにある旧岩崎邸庭園に行ってみることにした。その道すがら湯島天神を訪れたのであるが、彼女には馴染みがないようだった。私が湯島の白梅で有名だよと、「湯島通れば思い出すお蔦主税の心意気♬…」と歌ってみせたのだが、それも分からないと言う。戦前の歌だから知らないのも仕方がない。

たまたま今回訪れた場所に関する知識は、私が実家を出る前まで(大学入学時まで)の記憶であり、その当時としても尾崎紅葉や泉鏡花の文芸作品は古いものであったし、歌謡曲に関してもテレビから流れてくるのを懐メロとして聴いていたと思う。妻は懐メロなんて聴いてはいないはずだ。また、数ヶ月前に熱海を旅行した次男に、寛一お宮はどうだったか尋ねてみたのだが、全く意識に無かったようで、そう言えば熱海海岸に何か像があったような気がする…という程度であった。

私は山陰地方の山間部で生まれ育った。昭和30年代当時の記憶では、まだ太平洋戦争のなごりが残っていて、戦争物語もよく読んだし、軍歌も歌ったり、戦争ごっこだってしていた。都会に比べて時間の進み方が遅かったのだろう。私の時代意識は、同世代の人とは10年くらい古く、団塊の世代と同じ感覚なのだろう。私の常識だと思っていたことが、時代錯誤的に今の世代から遠ざかっている現実を実感してしまった。

中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」に近い心境である。

パソコンやスマホを使って、ネットワーク環境にも対応して、いつも時代の先端を意識してきたけれど、私の本質的なところ(育った環境と時代)は、昭和そのものであり、それでもってもの事をとらえている。それが良いのか、悪いのか…。

いつの世も、時は同じように流れ、人も同じように昔の頃を懐かしんでいる。