仕事に目的は必要だけれど、協力者も欠くことはできない。ひとりぼっちの作業は辛い
半日村の話
【1995年3月記載】
「何のために、何をするのか。」 このことをハッキリさせて仕事はしなければいけない。ややもすると研究所の企画は日々の雑用(これも大切な仕事なのだが)に追われて、一般的な管理、調整や報告書等の資料づくりに終わってしまう。企画とはこういう仕事なのだと割り切って考えれば、それなりに管理業務のフォーマット化とか調整業務ノウハウのまとめとか、意味のある仕事ができると思うのだが、名称として「企画推進」と付いているからには、"本来の企画"とは何を目的として何をする所なのか、いつもハッキリと認識していなくてはいけない。
経営に貢献すべき研究開発テーマを立案し運営、評価をしていくのが研究企画であり、R&Dの流れの中で、事業ビジョンやR&D戦略から始まってプロジェクトの運営や実績評価に至るまでを鳥瞰し、状況にあった施策を講じていくのがその役目なのだ。しかし、現実にはとかく企画屋というのはスタンドプレーに走りがちであり、仕事全体の中での位置づけや論理性を充分に検討しないまま、断片的なビジョンを考えてみたり、思いつきの小集団活動や委員会活動を推進したがる。だから全体としてのストーリー性が無いため、いつもその場限りのイベントに終わってしまっていたし、現場の理解も得られないことがしばしばであった。
ところで半日村の話をしようと思う。この話は子どもたちが図書館から借りて来る本で、夜いつも寝かしつけるときに読まされるものの中で見つけたものである。
半日村というのは、村の東側が切り立った高い山に遮られ、西側は大きな湖に面しているといった立地条件の極めて悪い村で、それがため太陽が昼からでないと顔を出さない、一日のうち半分しか日が当たらないことからその名が付いた村である。だから村の収穫は大変少なくみんなひもじい思いをしていた。
ところがある日、一人の子どもがふと思った。
「あの山があるから日当りが悪いのだ。だからあの山をどけてしまえばいいじゃあないか。」と..。
そしてその子は一人で山の土を運んでは湖に埋めていた。はじめはみんな馬鹿にしていたが、そのうち面白半分に協力する子どもが現れ、村の大人の意識も少しばかり変わってきた。
「ひょっとして山を動かすことができるかも知れないぞ。たとえ少しでも削れたらその分だけ楽になる..。」
大人たちも暇をみては協力するようになり、山はちょっとずつ低くなっていった。そして何年も何年も経って、子どもたちの子どもたちの子どもたちが大人になる頃になると、山は全く跡形もなく無くなってしまい、山の土を運んで埋めた湖も広い農地になり、半日村はとても豊かな村になったという。
これと対照的なのが、シシュフォスの神話である。ゼウスの怒りにふれたシシュフォスは、地獄に落とされ、高い山から絶えず落ちてくる大石を山の頂まで運ぶという刑に処されたのである。
再び落ちてくるであろう大石を承知で山に運ぶことは苦痛以外の何物でもないはずである。
やっている作業としては、この二つの例はほとんど同じ様なものであるにもかかわらず、こうも違って受け止められるのはどうしてだろう。その作業に対して何が得られるのか、何のためにしているのかが有るか無いかの差であり、目的の有無はとても大きな意味を持つことがよく分かる。
目的がハッキリしていて人と人とが協力しあえば、困難な作業でも自然に力が湧いてくる様な感じがするし、必然的に目的を達成できる可能性も高くなるというものだろう。反対に目的の判然としないものにただ一人の力で臨むのは、仕事を進めるうえで、困難窮まりないことが伺い知れる。
ところで、この一年間のR&Dを思い返してみると、調査という名の一人テーマが随分と有ったし、そのほとんどがあまり進展していないではないか....。
調査テーマというのは何をしたらいいのかその目的を探すのが命題であり、担当者にとっては丁度このシシュフォスの立場にあったのではなかろうか。スタッフサイドとしては、探索テーマは目に見える実作業をあまり伴わないので、安易に、一人で十分やれると踏んではいなかっただろうか..?
R&Dテーマの推進のやり方を考え直さなくてはいけない。