本物は凄い..一流の人物に接することだ

真贋の見分け方

【2009年11月記載】

新規商品や新規事業の成否は、人々の真のニーズを捉えられるかどうかにかかっていると思う。真のニーズとは何か。それはまだ顕在化していないものであり、いわゆるウォンツを探すことになる。これは顧客データを分析したら分かるというものではない。またトレンドを把握し、仮説を立ててロジカルに進めていけば、掴めるとは思うのだが、それは莫大な作業をすることになり、確率的にも、効率的にも割が合わない。

どうしたらよいのか。直感を働かすことである。狭い範囲でしか機能しない理論というものを越えたところに解はあるはずだ。できるだけ多くの情報を集めて、その中から石ころを捨て、光り輝く金剛石を拾い集めて並べていくことにより、真のニーズが見えてくる。石ころと金剛石の違いを見分け、篩いをかけていく力はどうしてつけていくのか。長い経験から直感的に区別していくのであろうが、そういった直観力を磨くための努力をしていかなくてはいけない。

直観力=感性力として、「あっ、これは良い!」と感じる力をつけることとするなら、それはとりもなおさず、良いもの、本物を掴む力を磨くことになる。あらゆる面での本物を知っておくことが、新しい良い商品を創り出すことに繋がる。贋物、二流品しか知らない人間では、一流品は創れないし、本当に良い商品は生み出せない。とにかく、本物に接することだ。どんな分野でもいいからよい物、一流といえる物に接し、それが分かる力をつけることが大切になってくる。そう思って、本物が分かる力をつけることに、言い換えれば真贋を見分ける力をつけることに、努力してきたつもりである。

先般、Aさんと酒肆春鹿へ「ほろよい寄席」を聴きに行った。今回はTVでお馴染みの月亭八方が出演すると言うことで、木戸銭も従来の三千円から五千円に上がり、会場は60人の超満員となった。6時30分開演なのだが、いきなり司会の方から、八方はたった今、岡山での公演を終えたばかりで、奈良に来るとすれば9時を過ぎるという。客席は一瞬しらけた雰囲気が漂ったが、それでも他の出演者に頑張ってもらい、何とか9時まで待つことになった。

前座がひとつ増え、超若手の旭堂南斗がおそらく覚えたばかりであろう「八百屋甚兵衛」を。続いて、半年前にデビューしたばかりのこれまた前座の旭堂南舟が高座に上がって、「木津の勘助」を演じた。半年前とは見違えるほどの腕前になっていたが、それでも、まだまだ。そしてようやく真打ち落語の番になった。今日の出演は笑福亭仁嬌で、演題は「八五郎坊主」。入りがとってもスムースでぐんぐん話の中に引き込まれていく。臨場感もあり、結構上手い。とても年季が入っていて、話しがこなれている。後半は少しばてた感じはしたが、あの春団治に近いものがあった。お次の旭堂南左衛門の「徂徠豆腐」も楽しく聴けた。いつ聴いても迫力があり、講談のすばらしさを味あわせてくれる。 

それでも8時過ぎには出し物は一通り終わったので、いつもなら最後に予定しているお弁当とお酒による懇親会を、予定を繰り上げて実施することになった。狭い座敷を一旦出て、Aさんと私はお店のカウンターにとまった。

月亭八方が大阪からタクシーを飛ばしてやっと到着したのが9時過ぎで、寄席が再開されたのは9時30分頃。さすがに売れっ子の八方である。出だしからみんなを惹きつける。今流行のインフルエンザのエピソードから始まって、そのままスウッと本題に入った。

演目は「稽古屋」。しかし、いけない。たった今仁嬌の話を聴いたばかりなので、八方の芸の粗さが目立つ。第一に、滑舌が悪く、言葉が明瞭に聴き取れない。少し耳の不自由な人なら分からないところが出てくるに違いない。聴くのに努力が要る。話の運びにメリハリがなく、話し方で人を笑わせるというのには至らない。話のストーリーだけで笑わせている。ストーリーの力に負うところが多く、話し方の芸でお客を楽しませてはいない。単なるTVでよくやるトークショーに近い。芸ではない。芸としては未熟だ。

良いものと悪いもの、交互に比較するとそれぞれの良し悪しが如実に分かる。真珠の良し悪しも、安物と高級品を比較するとすぐに分かった。絵画も同じ。その人の好みはあるにしても、良い作品には凄い迫力があるし、何かが人の心を震わせる。音楽ならもっとよく分かる。同じ曲を弾いても、一流と二流では私たちの感じ方は全く違うし、同じ人が弾いてもその日の出来具合の違いがはっきり分かる。落語だってそうだ。上手とか下手とかは聴けば分かる。ただし、すべて生で、見たり聴いたりすることが前提条件ではあるけれど。

ひょっとして、人の良し悪しもそうなのかもしれない。もし、人の良し悪しが分からないとしたら、その人は本物を見たことがないのだろう。