京都に代表される日本文化は、表層的なものになってしまったな...
京都祇園
【2024年9月記載】
私の学生時代、そう昭和の高度成長期には、京都はとてもあこがれの的で全国的に一大ブームが起こっていた。いくつもの京都を題材にした歌が流行っていたし、雑誌や旅行ブックにもこぞって取り上げられていた。そして日本各地には小京都と呼ばれる観光地が生まれていた。
有名な神社仏閣、歴史遺産を中心に、私も京都を訪れる友人たちと市内を巡ることが多かった。また京都の繁華街と言えば四条河原町界隈であり、私たち学生は少しそれた裏通りの木屋町辺りにたむろしていた。先斗町は少し敷居が高く、いわんや祇園なんてものは全く縁のない場所であった。京都は学生の街であり、祇園はお大尽の行くところで若者や観光客の訪れる場所ではなかった。祇園は必ずしも京都を代表する場所(観光地)ではなかった。
それから半世紀が経とうとしている今、京都の街は変わった。とてもすっきりとして奇麗になった。どちらかと言うとしっとりと木質的な湿った感じの街並みがツルッとしたプラスチック的な明るくドライな通りに変わって、どこに行ってもこじゃれたお店で溢れかえるようになった。特に近年は京都市内全体がテーマパーク化したかのようになり、観光客(特に外国人)をそこら中で見かけるようになった。当然のことのように、祇園も彼らの観光対象となり、祇園花見小路通りは観光の中心となって行き交う人がとても多くなった。
ところで、その今まで全く縁のなかった祇園が、最近とても身近になってきた。祇園で飲食する機会が結構あるのである。要するに、私のような一般の客(いわゆる一見さん)でも気楽に食事できたり、お酒を飲んだりできるお店が増えたように思える。ごく普通の食べ物屋や居酒屋が通りに面して立ち並んでいる。そして外国人を中心に、多くの観光客で溢れているのだ。昔ではとても考えられないような光景である。観光客でごった返しているのだから…。
祇園を取り囲む環境が変わったのだろうか。この私のような普通の者にでも、その機会は訪れたのである。
この春と夏にそれぞれ知り合いの方に誘われて、祇園のお茶屋さんに行く機会があった。もちろん芸妓さんや舞妓さんのおもてなしを受けることはせずに、お茶屋のお母さん相手に酒を飲む程度なので、ハードルは低くした上でのことなのだが。それでもこの業界では一見さんはお断りであり、そういう機会がたて続けにあったことで、私としてはいい体験になった。
去年の祇園祭で、雑貨を販売しているショップ店で買い物をしていた時、舞妓さん二人を連れた私と同じ世代のおやっさんとしばらく立ち話をしたのだが、彼曰く「祭りを見たいというので一緒に来ているんやけど、若い娘の好きなようにさせてやるのも大変なんや」と。とても涼しそうなスーツに身を固め、彼女たちを鷹揚に見つめている姿を見て、やはり私とは違う世界なのだと感じたことがあったので、祇園は遠い存在だった。
何故だろう。何故、今頃になって祇園を訪れる機会が増えたのだろうか。考えるに、京都自体がオープン化したからではないだろうか。訪日外国人が増え、インバウンド需要が拡大したことにより、とりわけ日本文化の源流ともいえる京都ブランドが観光の核となっているからだろう。一方で、高度成長時のようなモノづくりや技術力における日本のアドバンテージが無くなり、観光資源に頼らざるを得なくなっている日本経済の窮状もあり、今まで京都祇園を支えてきた従来の国内富裕層の衰退も見て取れるのではなかろうか。その分、祇園は観光客を相手にしなくてはならなくなっていると…。ある意味閉ざされた社会であったからこそ成り立っていた祇園のビジネスモデルが、ここに来て瓦解しようとしているのではないだろうか。