今はLINEやSMSで済むようになり拘束されることは無くなったが、携帯電話(スマホ)の便利さにはやはり危ういものが有る

携帯電話

【2002年4月記載】

 携帯電話が鳴った。慌ててディスプレイを覗くと、発信者は“非通知設定”となっている。電話に出た方が良いのかどうか迷っていると、
「非通知なのだから迷惑電話に決まっているでしょ。出なくていいわよ」
長女が言った。それでもどうしたものかと考えていたら、鳴り止んでしまった。

 今日は大阪出張の帰りに、USJに遊びに来ている妻や子ども達と合流したのだった。時間的には勤務時間は終了しているのだが、やはり普段とは違って早い時間帯から、それも出張を利用して遊びに来ているので、後ろめたい気持ちで一杯だ。妻と子ども達は朝早くからここUSJに来て、すでにおもだったアトラクションは体験し、最後に一番楽しみにしていた“バック・トゥ・ザ・フューチャー”に並んでいた。

「もう1時間も並んでいるんだ。お父さんはラッキーだよ。あと1時間半並んだら乗れるんだから。これが一番面白いんだよ」
子ども達が元気にはしゃいでいる。
 そんなざわめきとBGMの鳴り響く中で、携帯電話をとることには、確かに躊躇した。いつもは携帯電話なんて持ったことは無いし、また誰にも携帯電話の番号を教えてはいなかった。しかし今日は妻や子ども達と落ち合うためには必要だったし、いつもより早めに仕事を切り上げようと考えていたので、もしもの場合の連絡用として持っていた。もちろん企画のKさんには私の番号を教えていた。

 翌日、研究所長が私に言った。
「きみ、携帯電話を持ったらどうだい。安いのがあるよ。受信専用だけれど年間数千円で済むらしい」
「昨日も、特に緊急を要する内容ではなかったのだけれど、Kさんからきみの携帯電話の番号を聞いたのでかけてみたんだ。しかし繋がらなかったので、すぐ諦めたのだが..」
「電話が鳴ったので出ようと思ったのですが、“非通知”とあったので取ろうかどうしようかと迷っていたら切れてしまいました」
「以前、きみの携帯は奥さんと共用だと聞いていたので、奥さんが出たらまずいなぁと思って、なかなかかけられずにいたんだが、Kさんに昨日は持っていると聞いたのでかけてみたんだが...」
「分かりました。この際個人で持つようにします」

今や携帯を持っていない人の方が珍しくなってしまったが、本当に携帯を持つことはよい事なのだろうか。言ってはみたものの、本気で携帯を持つ気にはなれなかった。第一、この会社では携帯なんて誰も自分のためになんか使っていない。そのほとんどが仕事、それも上司からの一方的な指示命令を受けるとるために使うだけである。あたかも携帯が上司への忠誠心の証であるかのように。

 携帯電話があれば便利なことは分かる。何時でも何処でも必要な時に簡単に連絡がとれるのだから、これほど便利なものは無い。しかしだからこそ、そこに落とし穴があるのではなかろうか。いつでも連絡がとれると安易に思い込んでしまい、今までにやってきた良い面が失われてしまってはいないだろうか。例えば、連絡がとれない時に自分で考え、その時の状況に合わせて行動してきたような事が、だんだんできなくなってしまうとか。あらかじめ一日のスケジュールを練って、その日の行動を効率的にするなどの工夫をしなくなり、なるがままにその日を過ごしてしまうとか。或いは、常に連絡がとれるものだから、のべつまくなしに事ある毎に、大した用事でもないのに電話して、相手を24時間拘束してしまうとか。

「ちょっと、このデータの出所は何処なのか、今すぐ調べてくれないか」
「明日午後の会議の資料をチェックしたいので、今すぐにメールで送ってくれないか」
「ガス調理器のトップシェアはどこのメーカなのか教えてくれ」

常に電話で分からない事を人に聞いて用を済ませる事で、自分で考え、自分で行動するといったことが失われてしまうのではなかろうか。いつでも連絡がとれるので、何事も間際にならないと進められなくなってきて、やたらと緊急命令や突然の指示といったものが横行するようになっているのではあるまいか。部下も度重なる上司からの電話で、本来の仕事が集中して出来ない状態になっているのではなかろうか。

 携帯を持つことで、思考力と時間的ゆとりというものが失われつつあるように思えるのは、果たして私だけであろうか。