数字は誰にでも分かる。それだけで判断するのは愚の骨頂だ
見えざる資産
【1996年12月記載】
企業活動における経営資源には、ヒト・モノ・カネの他に見えざる資産があり、この見えざる資産こそが最も大切で、企業活動を勝ち抜いて行く上でほとんど唯一の差別化の源泉であるという。
この見えざる資産とは、その企業が持つブランドや企業イメージであり、技術やノウハウそして組織の風土やモラルをいう。すなわち見えざる資産は、ヒト・モノ・カネの様に誰にでもそれと分かる定量化できる様なものではなく、一見捉えどころのない、有ると思えば有るような、無いと言われれば無いようなもので、相対的にのみ評価し得るものである。この見えざる資産というものは、企業活動全体にわたって築かれていくもので、ヒト・モノ・カネに代表されるような目に見える資産のように企業活動を部分的に解明したものではない。おそらく企業活動全体を把握するのには、この見えざる資産を問題にするのが一番有効であろう。丁度人間において、知識に基づく論理的な思考力や分析力という理性のみを対象とするのではなく、少し捉えどころのない感性的な総合力を持ってして判断しているように。
企業にとって現在の経営状況は一番大切なところだが、これから将来に向けて成長できるかどうかということも重要な課題である。そういう視点から見ると、ヒト・モノ・カネは過去からの企業活動の結果であり、その蓄積である。それゆえ現時点でのそれらを捉えて企業の将来性を云々するには問題があるというもので、企業の将来を決めるものとして重要なのは、その企業の持つ未来に向けてのベクトルの方向と大きさであり、決してヒト・モノ・カネのような現在の力をあらわすベクトルの起点、ポジションではない。ヒト・モノ・カネにしてもそれらがどれだけの運動量なり、未来に向けてのベクトルを持っているかが分かれば良いのであり、そういう捉え方ができれば面白い。一方、見えざる資産の中でも、技術やノウハウそしてブランド力や企業イメージというものは、それでも何とか特許出願の数とか、人気度合によって推し量ることができる。しかし、現時点でのそれらの大小を論じても、未来に向けての成長性の指標にはなり得ないであろうし、やはりヒト・モノ・カネと同じように、技術力やブランド力にも未来に向けての力強さ=上向きのエネルギーというものがなければならないはずである。結局のところ、真の意味での見えざる資産とは、ヒト・モノ・カネそして特許出願数のような見えている資産の微分値のようなものなのかも知れない。
ところでこれが一人の人間の場合にはどうであろうか。企業活動の場合と同じように、現在その人が持っている資産、例えば過去からの実績や成果あるいは資格や肩書の様なものも、その人の能力を掴む上では必要なものであろう。しかしその人がこれからいったい何をしてくれるのか、何ができるのかはそれだけでは分からない。やはり将来に向けてどれくらいの事をしてくれるのかは、その人の持っているエネルギー、向上する気持ちこそが一番大切であるといえよう。これこそが人にとっての見えざる資産なのではなかろうか。博士号をとった人が偉いといえば、それは確かに偉いであろう。しかしだからといって、その人がこれから先、いい発明なり発見をしてくれるとは限らない。極端な場合、博士号をとることを目的にしてきた人が、博士になった途端に目標を見失い、ただの木偶のぼうになってまうことだってあるのだ。むしろこれから博士号をとろうと頑張っている人の方が余程いい仕事をしてくれるに違いない。