地域の人との繋がりは...情報量が少ないので希薄になりがちです
町内会
【2003年6月記載】
同じ町内に住んでおられるMさんの奥さんが亡くなられた。以前より体は丈夫なほうではないと聞いていたし、ここしばらく姿を見かけなかったので、今にして思えば「そうだったのか」と納得できないわけでもなかった。が、あまりにも突然のことなので、少し信じがたいものがあった。
ここに住み始めて、丁度この夏で20年になる。同じ班のご近所はみなほぼ同じ時期に引っ越してきた。全部で12家族、そのすべてが当時のまま今日に至っているわけで、誰一人としてよそへ引越しすることもなく、大きなトラブルも生じることもなく、とてもよいご近所関係だったといえる。今回不幸にして初めての弔事が発生したわけであるが、この班の連携はたいしたもので、全員がMさんのために何とか協力したいという姿勢で、手際よく役割分担を決めたのである。
通夜に集まった男性陣は、Oさんと私の二人。早速二人で帳場を受け持った。女性陣はというと、特に何もすることがないせいか、集まって情報交換に精を出している。なにせこうして全員が集まるのも、入居した当初に一度集まって以来のことなので、さながら弔問外交のような雰囲気が漂っている。
「お子さんたちは今何処におられるの?」
「おじいさん、おばあさんになられたのですか?」
「うちの子は、まだ結婚していないのよ」
などなど。Mさん家族のことを考えれば、とても哀しく大変なことなのだけれど、こうしてご近所同士、久しぶりに全員が集まったことで、話題はなかなか尽きそうにもなかった。
Oさんと二人で受付係をさせてもらったのは、私にとってとても幸運だった。このところ町内会の活動には、あまり積極的に姿を見せていなかった私の存在感を十分にアピールできたのだから。こういった緊急時にきちんと役割を果たすというのは、とても頼りになるという印象を与える。
「町内の行事に参加しなかったり、役割を積極的に果たそうとしない人はいけない。たとえ奥さんがいつも参加していたとしても、町内の清掃などの行事に一度も顔を出したことのないご主人はもう駄目よ。わたしはそう思っている」
妻が言った。
いくら忙しいからといっても、面倒くさがらずに町内のイベントには顔を出さなくてはいけない。何といっても自分たちの生活のベースであるコミュニティでの信頼関係は重要だ。20年も一緒に住んできた町内会である。会社の上司に媚びへつらうよりは、よほど大事なものであると言えるかも知れない。あらためて今住んでいる町内の人々との交流を考えさせられる出来事であった。