今もって"待つ"という行為は無くならない。それが価値といえばそうだけれど...

待つ時間

【2016年6月記載】

人間ドックで胸部の異常が見つかった。レントゲン写真を見ながら担当の医師が説明してくれた。肺の左側下部に影があるという。そう言われればそうかなと思うくらいで、私が見てもその異常さは分からない。

「以前にも同じような事がありました。その時はCTを撮ったのですが、異常はありませんでした。また『これからもこのような健康診断で肺の異常を指摘されるかもしれないが、別に異常ではありませんから』と、言われています」

「それはどこの病院ですか?」

「○△□病院です。でも、もう10年以上も前のことです」

「そうですか。その時のデータがあればいいのですが。いずれにしても一度病院へいって診てもらったほうがよいでしょう」

二週間後、人間ドックの結果が届いて、やはり同様の診断内容が記載されていた。過去、私は肺の病気を何度かしたことがある。高校生の時に自然気胸を3度発症し、30代前半にもサルコイドーシスで胸を患ったことがある。だから肺に関しては、決して安心できる心境ではなかった。

当然のことながら、再検査を受けることにした。今回は勤務している会社が変わっているので、前に行ったことのある○△□病院とはいかない。京都は円町にある京都工場保健会に行って精密検査を受けることにした。

病院へ行くこと自体には慣れているので抵抗はないけれど、それでも再検査となると不安はある。今年から半日有給休暇制度なるものが導入されたので、それを使って平日の午前中に受診することにした。

病院に着いたのが9時10分くらいで、すぐに受付は済ませることができた。まずは問診を受ける。待つこと1時間あまり。担当の医師はレントゲン写真を見せてくれながら、異常の状況を私に確認し、精密検査を受けるかどうかを問うてきた。もちろんここに来たのはそれが目的なので、CTを撮ることをお願いした。ただし、今日は混んでいて撮るのに時間がかかり、12時くらいになるという。

そして、CT撮影室の前で待つこと1時間30分。おおよその時間を知らせてもらっていたので精神的なイライラ感はほとんどなかった。11時45分になって、ようやく名前を呼ばれた。

CTの撮影には時間がかかると思っていた。今までに何度かCTを撮ったことがあるが、30分くらいはかかっていた。もっと昔は造影剤も入れていたので、とても時間がかかっていた。しかし、CTはすぐに終わった。5分もかからなかったのではないか。医療技術の進展には目を見張るものがある。

CTの結果を持って、再び担当医師の問診を受けたのが、12時を少しまわった頃。結果は異常なし。肺の上部から下部にかけての連続した断面画像を前にして、一箇所炎症の痕がある以外は、異常のないことを丁寧に説明してもらった。

CT検査を始めてからわずか20分足らずですべて終了した。速い。待ち時間がなければとてつもなく速く結果が分かったことになる。しかし、受付をしてから最後の清算をするまで3時間あまりと、トータルでの時間は昔とさほど変わらない。今もって長い。そのほとんどがあいも変わらず待ち時間であった。

いまどき“待つ”ことなんて少なくなっていると思うのだが。歯医者だって、予約制で待つ時間は短くなっている。散髪屋さんも予約制で待つ時間はほとんど要らない。今の世の中、ICTの発達で、特にスマートフォンの出現で、あらゆる情報がすぐに入手でき、待つという行為はどんどん少なくなっている。人との待ち合わせで待つこともなくなった。発車時刻が検索できるので電車を待つのも短くてすむ。道路の混雑具合も分かるようになったので、車の渋滞に巻き込まれることも減った。ただし、人気のお店やレジャー施設で長い列をつくって待つことは、依然としてあるけれど。

“待つ”という行為は、それだけの意味もしくはメリットがあるからするのであって、病院で今もってそんな行為をしているということは、病院の価値は依然として高いということである。だから、ICTの進んだ今の時代でも、平気でお客(患者)を待たせることができるのだろう。しかし、本当にお客様視点に立って考えるのならば、これは改善されて然るべきであり、また可能である。もっと言えば、前回受診したレントゲンやCTのデータを入手することができていれば、こんなムダな検査はしなくて済んだはずだ。 価値の高い医療の現場では、まだまだすべきことはたくさんありそうである。