人生で無駄なことは何一つないような気がする
立ち話しのすすめ
【2025年6月記載】
妻が介護で帰省している間は、ひとりで炊事、掃除、洗濯をしなくてはいけない。土曜日のお昼過ぎ、夕食の準備をするため、近くの生協に買い物に行った。その帰りに我が家の玄関先で、近所に住んでいるOさんに出会った。彼は既に80才を過ぎているのだがすこぶる元気で、いつも散歩する姿を見かける。この日はめずらしく両手に虫かごを抱えている。クワガタムシが大きいものと小さいものに分けてそれぞれ20匹程度入っているではないか。私も幼い頃にクワガタムシやカブトムシで遊んだことを思い出して、しばらく話がはずんだ。
話にキリが付いたところで、家の中に入ろうとすると、少し先の方から私の姿をそれと確認したかのようにして、ひとりの女性が近づいてきた。帽子とマスクで誰とは分からなかったけれど、私の方に向かって挨拶をされるので、とりあえず会釈をしてみたものの、やはり分からない。そのまま門扉を閉めようとしたところで、
「○△□です…」
あっ、妻の仲の良い友だちのMさんではないか。すんでのところで失礼をしてしまうところだった。
「ほんと、お久しぶりですね」
そこで、再び立ち話しが始まった。
なんでも、今日は橿原の今井町にある実家へ父親の世話に行った帰りだという。妹さんと二人で父親と一緒に昼食をとり、父親の方は自宅には帰らずそのまま電動自転車に乗って銭湯に向かったという。彼は88才になるのだが、自転車を乗り回して好きなように動き回っているらしい。
その父親の出身地は私と同じ島根県で、出雲にある大根島だという。話を聞けば、そのお父さんは、数年前にひとりで自動車を運転して、奈良から大根島へ行きその日のうちに奈良まで帰って来たという(危ない…私でもひとりで島根まで日帰りで運転したことはないし、それがどれだけ大変な事かは身を持って分かる)。帰宅した後、お父さんが言うには、「せっかく久しぶりに帰省したのに、同級生はみな死んでいて誰もいなかった…」とか。
彼は、それを機にきっぱりと自動車を運転するのはやめた。運転免許証を返納したのである。これが最後の運転だと決めて、別れを告げる旅だったのだ。そして、今は自転車を乗り回している。とんでもなくできる男だ…と思う。私に話をするくらいなのだから、彼女も相当にインパクトを覚えたのだろう。彼女との会話もずいぶんと長時間に及んだから、結局、私は家の前で立ち止まったまま相当な時間を費やしたことになる。
立ち話しはとりとめのない内容であることが多く、そして長くなる。そう言えば、幼い頃、母の立ち話しがいつも長く感じられたことを思い出す。立ち話しというもの、たまたま出会って、その場で思ったことや感じていることを話すというものだから、議題はほとんど決まっていない。お互いに話したいことを話すし、気心も知れているので、日頃のストレスを発散させる場にもなる。ところどころでホンネが出たり、大袈裟に思いのほどを語ったりで、その人が良く分かって結構楽しい。だから時間が経つのが速く、ついつい長くなってしまう。メンタルヘルスケアの有効手段だ。
立ち話しをした後、なんとなくすっきりとした気分になるのは私だけだろうか。