今ではピアノを習う子はほとんどいない...学ぶ力が弱くなっている

ピアノ発表会

【2002年4月記載】

 大ホールの中央を横切る通路を、3、4才の子どもが行ったり来たりしている。ときどき「アーッ」「ワァー」と小さな声をあげながら走ったり、立ち止まったり、歩いたりしている。ピアノを聴くにはちょっと耳障りである。近くにおじいちゃん、おばあちゃんと思しき人たちがいて、ときどき「シッー、シッー」と小声で注意をしている。でもお構いなしにその幼い子どもは相変わらず走り回っている。

 ピアノ演奏は、中学生のホープKさんが弾くシューマンの「パピヨン」。とても静かな曲なのでざわめきがいつもより目立ってしまう。私も注意しようかと思ったのだけれど、その勇気は無かった。よく見るとこの子どもとおじいちゃんたちの集団、どう見てもあまり音楽に縁のなさそうな感じで、ピアノの発表会なんて初めてのようだ。コンサートのマナーは当然知らないようだけれど、一応は静かにしようと努めてはいるのだ。

 発表会が終わって、出演者や父兄そして先生がそれぞれに日頃の練習成果を称え合ったり、今後の精進に向けて反省し合ったりの言葉を交わしたのだが、その中で会場を走り回った幼い子どもの話題も当然のようにでた。
「せっかくいい演奏をしてはったのに、あんな子がいて残念やったわぁ」
「あれはちょっとよくなかったわねぇ」
長女もその時の舞台裏での様子を話してくれた。
「先生ったら今にも切れそうやったわ。『もう、誰なのあんな子を放ったらかしにして、ほんとにマナーを知らないんだから』と、怒りまくってはったわ」
そうだろうと思う。せっかくこの4ヶ月間準備をして日頃の練習成果をみんなに聴いてもらおうと張り切っていたのに、外乱が入っては全くの台無しである。それもピアノの発表会でありながら「スプリングコンサート」と銘打っているように、とても高いレベルでの演奏を目指しているので、その悔しさも分からないではない。

 しかしこのような事態はある程度起こりうることであり、一方的に非難していいものかどうか、考えさせられる。この発表会の目的は何かと考えたとき、それは日頃の練習成果をできるだけ多くの人に聴いてもらうことであり、多くの人を前にした発表の場を経験することで、心身の成長をはかり、より高いレベルの演奏を目指すことにあるのではないか。そのためには多くの人たちに発表会に来てもらうことである。少し声を出したからといって、演奏者に迷惑が及ぶというものでもないし、それくらいの演奏時のハンディは克服すべきものであるはずだ。料金をとってコンサートをしているわけではないのだから、もっとオープンにすべきものである。ピアノを芸術として一部の人たちのものだけにするのではなく、もっともっと多くの人たちに聴いてもらって豊かな文化を創っていくためにも、これくらいのことには目を瞑って寛容になるべきなのだ。少し騒がしかったけれど、おそらく無理をして来てくれたおじいちゃんやおばあちゃんに、感謝するくらいの気持ちを持つべきなのだろう。本当は..。