三条通りにある荒井漆器店は閉じて久しいけれど...奈良にはいいモノが溢れている

奈良漆器

【2002年5月記載】

午後5時50分、近鉄奈良駅から南へ、東向通りを突き当たったところ、荒井漆器店に着いた。
「ごめんください。贈り物として奈良漆器の小箱を考えているんですが、予算2万円でありませんか」
「ありません。お盆ならありますが…」
「………」

困った。今日はこれからお世話になった上司の送別会を予定していて、記念に奈良ゆかりの品を贈ろうと考えていたので少しがっかりした。

「おいっ、2万3千円のものならここにあるぞ」
一緒について来てもらったN部長が呼んでいる。
「なんだ、あるじゃないか」
「すみません。これをください。贈物用として包んで頂けますか」

漆器の小箱を包装してもらっている間、さきほどの愛想のない返事をしていたお店の主人と思しき人が、私に話しかけてきた。

「お客さん、奈良の漆器は職人さんの手作りなので、とてもかっちりしていていい物なんです。この写真のように東大寺のお水取りには漆器のお盆が使われていて、そこから広く知られるようになったのです。しかしこのお盆はとても大きいので、家庭用としてはもっと小さめの物を作っています。ちょっと手にとって見てください。かっちりしているでしょう」

小さな朱塗りのお盆を手渡してくれた。なるほど手に持った感触はしっくりきて、しっかりした物を持っているという感じがする。

「今、手にしておられる物は4ヶ月前に作った物で、こちらの物は同じ物ですが、20年前に作った物です。朱の色が違うでしょう」
「本当だ。20年前の方が鮮やかで、朱が濃くなっている」
「そうなんです。時間が経つにつれてだんだん赤くなるんです」
「そうそう、ちょっと待ってください。1週間前に作った物がありますがら比較してみてください」

そう言って奥の方へ引っ込むと、また同じ種類の小さな盆を手にして出て来た。

「全然違いますねぇ。1週間前、4ヶ月前、20年前と比較してみると、朱が時間と共に鮮やかになってくる。本当にきれいですね」
「今は蛍光灯の光の下で見ていますが、太陽の光の下で見るともっと良く分かります」

今度は一緒に店内から外に出て、その朱の盆を眺めてみた。本当に朱の色が鮮やかに見える。これが伝統工芸というものなのだろう。

「ところで、このお店は何時頃までやっておられるのですか? 先日も夕方7時頃にお伺いしたのですが、すでに閉まっていました…」
「すみません。歳が歳なものですから、できるだけ長くやろうと思い、細く長く、昼の12時から夕方の6時まで、1日6時間しか開けていないんです」

そうか、そう言えば、結構お歳を召しておられる。もう疾うに80は過ぎているのではなかろうか。隣に立っている奥さんもとても度のきつい眼鏡をかけて、さきほどからこちらをじっと見ているのだが、ただ見つめているだけで動きがとてもゆっくりで、ほとんど反応がない。

 ご主人は心底この漆器を誇りに思っておられるのだろう。私に説明する目は大きく開いて、言葉にも力がこもっている。

「これは一生ものなどではなく、末代ものなのです。何代も引き続いて使ってもらうことができるのです」

いい物は世代を越えて引き継がれるものなのだ。高価な物ではあるけれど、いい技術といい味わいで心が満たされるのなら、ひとつくらい身近に置いておきたい気がしてきた。

 短い時間ではあったけれど、一種の芸術鑑賞をさせてもらったようだった。この年老いた店の主人に心からお礼を言いたかった。

「どうもいい物を有難うございました」