苦しみもがくことは体験したくないけれど...時としてあるんだよね

靖国神社

【2002年9月記載】

東京臨海高速鉄道 新木場駅に降りたのだが、これから一体どうしたものか、私は途方に暮れた。ひとまず何処かに座ってゆっくりしたかったのだが、生憎何処にもベンチや椅子は無かった。久しぶりの東京で、しかも時間は十分あったのだが、昨夜は一睡もできなかったし、食事ものどを通っていないので、体力的にも精神的にも疲弊しきっており、いつものような遊び心で何処か面白そうなところはないかといったアクティブな好奇心など全く起こるような状態ではなかった。このままでは気が狂ってしまうのではないかと思えるほどの重症だった。

時計の針はすでに午後1時を回っていた。今日は朝7時過ぎの新幹線で上京し、今まで東京ビッグサイトで行われていた当社の展示会を見学してきたのだった。展示会を見学中も、昨日からの悩みが頭の中を巡りめき、その度に胃が痛くなったり、吐き気が襲ってきた。暫く長椅子に腰掛けては見たものの、周りを忙しく行き交うバイタリティ溢れるビジネスマンたちが遠い存在のように見えて、どうしようもない悩みを抱えた自分がますます惨めに思え、気持ちが滅入るばかりであった。そんな展示会を後に、悩みを振り払うかのようにして、ようやくたどり着いたのだが、一向に気分は晴れなかった。今日は妻が実父の看病のため実家に帰っているので、できるだけ早く帰宅した方が良いのだけれど、それにしても今からだとあまりにも早く我が家に着きすぎる。

昨夜、ベッドの上で思い悩み、悶々として時の経つのを見つめていた時、頭の中を過ったのが「助けを求める」ということだった。それを思いだし、何処か、胸の中の悩みを打ち明け、救いを求められる場所はないものかと駅の行き先案内板を眺めてみた。駅名から考えて、寺院、神社もしくは教会のありそうなところは何処だろうかと...。
「高円寺、浅草、護国寺、泉岳寺...」
どうもしっくりこない。そう思って少しがっかりしていたら、ふと柱に掛かっている地図が目に入ってきた。地図に散見される緑色の部分が目指す場所を表しているのに気がついた。
「そうだ、靖国神社へ行ってみよう。毎年終戦記念日には話題にのぼる神社だけれど、きっと私を助けてくれるに違いない」
そう思うと、少しだけ力が湧いてきた。
地下鉄有楽町線から半蔵門線に乗り継いで、九段下で降りた。九段下から靖国神社までは思ったよりも遠い。9月にしてはとても暑く、上り坂を一歩ずつゆっくりと踏みしめながら上がって行く。大村益次郎の像を通り過ぎると、右手に参拝者向けの簡素な食堂があった。時刻は2時を過ぎたところ、少しでもお腹に入れないと体が持たない。食堂はガランとして誰一人いない。ここまで来て、いくらか安心したのか、何とかうどんを詰め込むことができた。

いよいよ参拝だ。一所懸命拝む。
「何事もありませんように...」
「みんなが幸せになれますように...」
帰りがけにお守りが売ってあった。
「いろいろな色がありますが、この色には何か意味があるのですか?」
「いいえ。お好みに応じて、どれでも好きなものをお選び下さい」
濃紺の小さなお守りを買った。神様に力を授かったような気持ちになり、心が和んでいくのがわかった。

「今まで、一人でよく頑張って来たんだから、もうここらで一人静かにゆっくりしたらいい。これ以上何も望む必要はないよ。よくやったよ、キミは...」