生活インフラは20年前からちっとも良くなっていない。何に税金を使っているのだろう...
電信柱
【2003年2月記載】
韓国の地下鉄で放火による火災事故が発生し、160人あまりの犠牲者がでた。まさに大惨事である。放火というテロ行為が原因であったにしても、地下鉄の運転士および運行司令室の対応の拙さが被害を大きくしたものと考えられている。
しかしこれらは表面的なものであって、根底には韓国のインフラ設備があまりにも脆弱であるところに起因しているのではないか。ちょうど40年前の高度成長期の日本がそうであったように。地下鉄の車両の造りが安普請で、燃え易い材質であったり、非常時における運行管理のしくみが全く機能していなかったりで、いかに急ごしらえのシステムであったかが窺える。外見だけは先進的なシステムを形作っていても、あまりにも急に、しかも背伸びして欧米の文化を取り入れているので基礎ができていない。とても危ない状態なのだ。自分たちの生活文化に合わせて着実にインフラを整備していくことが大切だ。
日本もそういう点では同じようなもので、持ち家に憧れて手にした住宅は、欠陥だらけで30年ともたないものであったり、狭い道路に車は溢れ、人々の憩いの場所もない街と化している。その中でもひときわ目立つのが電信柱。住宅密集地はもちろんのこと、ちょっと郊外に出ても、およそ人の住みそうな所には、電信柱から創り出される網が張り巡らされていて、くもの巣の中にゴミが溜まっているようだ。そのうえ、TVアンテナも屋根という屋根に乗っかって、まっすぐなものもあれば傾いたもの、錆びついたもの、中には半ば折れそうなものまであって、とても甍の波とは言えない有り様である。ヨーロッパの自然の中に溶け込んだ美しい街並みや歴史を感じさせる建物がやけに羨ましくなってしまう。
この電信柱というものは、道を歩くのにもいちいち避けなければならないし、如何わしい広告が張ってあったり、見通しが悪くなったりで邪魔なことこの上ない。地震でもあったなら、コンクリートの巨大な柱の下敷きにならないとも限らない。
電気がはじめて電灯に使われ、新しい文化を取り入れ出した明治時代に比べ、今日では日常生活のすべてにと言っていいほど、様々なシーンに電気が使用されるようになり、労働の省力化や快適性の向上がはかられてきた。つまり今日の便利な生活を支えているのは電信柱なのである。しかしその役割には相応しくないほど、暮らしの景観を乱しているのも電信柱なのである。
急ごしらえの文化は、何処か歪で、バランスが悪い。全体として調和のとれた街づくりをしていくことが大切だと感じるのだが、お役所がやろうとしていることはとにかく対症療法的だ。道が混むようになれば道路を拡張し、いたる所に道路を敷く。場所が無ければ高架にしたり、トンネルを掘ったりで、自然の中に生活していることを無視している。電信柱やアンテナそしてあちらこちらに蔓延る広告版の類もそんな考え方の延長線上にあるのだろう。必要とあらば、何でもかんでも剥き出しのまま造ってしまう。およそセンスのない文化だ。そういう点ではもっとヨーロッパを見習うべきであり、景観的トータルバランスの中で、歴史的時間の中で生きている人々の豊かさを知ることだ。これらはなにも公共施設だけのことではなく、我々の生活シーンの中でもいえることで、住居の中は家具、家電製品、衣服や雑貨などがゴロゴロしていて、およそスマートな暮らしをしているとは言えなくなっている。住まいも剥き出しの世界から一歩進んでバランスのとれた空間にしていきたいものだ。