「いちばんたいせつなことは、目に見えない」 サン=テグジュペリ
数値やグラフは果たして有効といえるのか
【2018年10月記載】
現在勤めている会社では、営業会議が毎週月曜日の午後に開催される。およそ3時間かけて、各事業部や支店の営業成績すなわち売上高や利益額の見通しを報告し、受託開発や派遣社員の稼働状況とそれが営業数値に与える影響を関係者で共有化する。事業計画に対してどこまで達成できているのか、できていないのなら見通しはどうなのか、売上高や利益額の数値を、社長が各現場責任者に確認するのが主となっている。
「第3Qの売上げは先週に比べて300万円上積みできましたが、利益は経費がかさみ20万円しか増えませんでした」
「社員の未稼働が増え、利益が50万円減少しました」
現場の責任者からこの一週間の活動状況が報告されるが、社長の関心事は、もっぱら経営数値である。売上高と利益額がどれだけ増えたか、またどれだけ増やせるのか、目標数値はクリアできるのか、あといくら上積みをすればクリアできるのか。
「あとどれだけ積んでくれるんや!」
いつもおんなじコメントである。
経営の良し悪しは数値に出てくる。売上額が増えたのか、利益は減っていないか。単純にいえば、増収増益ならば何ら問題なし、減収なり減益ならばどこかに問題があるはずである。数値は分かりやすい。
会議はいつも数値のプラスマイナスが議論される。数値目標を達成するための案件取りや技術人材配置に熱が入る。しかし、現場の抱える課題や業務内容すなわち開発状況や技術内容に対して踏み込んだ議論は全くなされることはない。もっぱら数値のたし算やひき算に終始する。目標数値の達成に向けてのムチが入る。その月、その四半期の目標に対しての数値合わせのために、仕掛かりや納期の調整をすることもある。親会社に対して、目標数値の達成という実績には説得力がある。
親会社への事業計画報告や期毎のヒアリングでは、議論の対象は専ら数値である。売上、利益の数値はもとより技術者の増減や稼働状況、受託比率、ビジネスパートナーの利用状況、販売管理費などなど。それらの数値がどうなっているのかがポイントとなっている。昨年と比べてどうなのか、計画数値に対して進捗はどうなのか。会議のすべてが数値のチェックである。
数値には客観性があり、それによって経営の状態があらかた分かってしまう。数値は分かりやすい。経営の基本を理解している人なら、誰でも数値でその会社の現状が分かってしまう。ある意味、バカでも分かる。経営能力のない人でも分かる。
本当にそうなのか。数値だけで経営状況は分かるのだろうか。そういう気になっているだけではないだろうか。その時点での会社の概況は数値である程度示されていると思う。しかし、それではこの先、来年は?再来年は?どうなるのだろうか。どうしていけばよいのだろうか。今までの数値から将来は予測できるかもしれない。が、実のところ、数値だけでは分からない。今の状況についても数値がすべてを語っているかといえば、そんなことはない。数値に表れない、表現できない経営要素はたくさんある。経営マネジメント力、技術力、事業マインド、職場風土など、人にまつわる資産はなかなか数値で表現するのは難しく、しかも経営に与える影響は大きい。
数値はとても分かりやすいけれど、これで表されることはきわめて限定的で、経営のごく一部にすぎない事を認識していなくてはいけない。第3者に分かりやすいもので、客観的なもので、ものごとを評価することはいいと思うけれど、それだけでは十分でないし、多くの場合、そこに表れていないものの方のウェイトが高い気がする。分かりやすいものだけで判断すると誤る場合が多くなってしまう。数値だけで経営を評価するのは危うい。ややもすると間違ったデシジョンをしてしまうのではないか。
大手家電メーカーに勤めていた頃、特に心がけたことに、「分かりやすい報告をすること」というのがあった。上司やトップへの報告時には、サッとひと目で分かる資料づくりを要求された。それは言葉や文章はできるだけ短くして、余分なことは省いて、ポイントを押さえて、言いたい事を簡潔に表現するようにとのことであった。グラフや表、絵や写真があれば、もっと分かりやすくなる。視覚に訴えるものは、特に図表は客観性もあり、誰でも見てすぐに分かる。ある意味、見たらそれで終わる。そこから読み取れるものは単純で、考察の余地はあまりない。そう、誰でも分かる。バカでも分かる。その事を深く知っていても、知っていなくても、得られる情報は一緒であり、分かりやすい分だけ、画一的で少ないと言える。
要は、分かりやすい資料=数値や図表、で判断することに高度の能力は要らない。分かりやすい資料を作成するためには、深い考察と思いが必要だけれど、それを判断するのに思考力は要らない。
今から考えてみると、その当時の大手家電メーカーのトップ層はみなバカだった…? 分かりやすい資料を基に判断するのだから、自分で考えることを要求されない状態に置かれていたことになる。そこでは、トップとしての見識は要らないということになる。
数値化、図表化などの見える化をすることで、それができたことで安心してしまい、それから先のことへの関心が無くなってしまっている。数値や図表は分かりやすいけれど、そこから得られる情報は、客観性はあっても単純で少ない。PLやBSで企業の評価をすることも、PPM分析で商品、事業やプロジェクトの評価をするのもいいけれど、それだけではリスクが大きい。見えていることはあまりにも少ないし、それから分かることはある意味一般論であり、抽象的なものの域を出ない。そのまわりにある要因を深く考え、つかみ取る作業をしなければいけない。
現在勤めている会社の社長は言う。
「今月、今期はどこまで伸ばしてくれるんだ? あとどれだけ上積みをしてくれるんだ?」
「利益が出ないのなら、利益率の高い案件を探して、人材を投入したらよいではないか」
「売上を伸ばすために、技術者の採用を増やす努力をしろ。事業は人だからな!」
しかし、その肝心の技術者をどう確保し、もしくは育てていくのかについて、その課題を共有化し克服していくための方策について議論をすることはない。
客観的な一般論をいくら並べても、解は出てこない。現場は帳尻を合わすために、数値合わせのために無理な作業をすることになる。
数値や図表に表れない部分、簡単には表現できないものをつかみ取っていくのがリーダーの責務のように思う。目標値はあるべきものだし、それに向けての努力は必要だ。図表で現在の状況を分析し、今後の方向性を示すことも大切だ。でも、それは誰にでもできる話であり、それを超えたところにマネジメント力の差が出てくると思う。つまるところ、資料作りの多い職場、上層部に対する報告書や説明書類作成の多い会社などのトップは、あまり賢くないと考えざるを得ない。こういうのに限って、なかなか決断をしないのだから。
昔の職人気質というか、伝統工芸や匠の世界では、弟子は師匠の技術を自分で盗み取ることを常としたという。師匠自らが、文字にして、資料として、弟子たちに伝えたという話は聞いたことが無い。
文字や形にして伝えることには限りがある。表面上は、形としては伝えることはできたとしても、言葉や形だけでは伝えきれないものの方が大きいのではないだろうか。また、言葉や形として表されないものをつかみ取る能力(=考える力みたいなもの)は、それに相応しい弟子にしか伝わらないし、その過程でその伝統はより強固でハイレベルなものになって行っているのではないかとも思う。
言葉に表れない力を大切にしたい。