子どもに期待するのはやめよう...何でも自分がやらなきゃ

もう少し若かったら

【2014年1月記載】

一年をふり返って、反省するたびにいつも思うことがある。そう、もう少し若かったらなぁと。

もう少し若かったら…、もっと英会話を勉強し話せるようになっていたのに。体育部で汗まみれになって体を鍛えたのに。もっと勉強してドクターをとっていたのに。ピアノの練習をして弾けるようになっていたのに、等々。

しかしこれには3つの過ちがある。まず、もし若かった頃に戻ったとしたら、本当に勉強しただろうか。その時にはもっと楽しい事、やりたい事があったはずで、年月を経た今はそんな事にはもう興味が無くなっただけなのではないか。友達と一緒に飲み歩いたり、パチンコや麻雀に明け暮れたり、合コンやスキー・テニスで女の子と遊んだり、ロックのコンサートを聴きに行ったりと、やりたいことは山ほどあった。楽しいことはいくらでもあったはず。それでも我慢して、頑張れたのだろうか。

また、その頃には本当に必要なものやその価値が分からなかったのではないのか。そしてそれに気付かなかった自分の愚かさを、今にして認識しているようなものなのだ。歳をとって初めて、その重要性や必要性を知ったのだから、明らかにその分、頭の回転が遅かったことになる。それに気付いて若い頃から、私のできなかった事をやっている人がいるのだから、やはり賢い人はいるし、そうでない自分もいる。

そして、気が付いたけれど、やはりそれはできないものであり、実行するにはハードルが高いものなのだ。気が付いたのであれば今からやるのが筋であり、できないのは能力的に無理だと思っているからで、仮にそうでないとしたらそれは本心から、そう思っていないことになる。いくら年齢を重ねていたとしても気が付いた時点がその人の一番若い時であり、それ以降は老いていくばかりで、決して若くなるわけではないのだから、当然やるのは「今でしょ!」となる。

英会話だって、自転車だって、マラソンだって、今からやればいい。平均寿命から計算すれば、私の人生あと20年くらいあるのだから。十分それを堪能できるはず。

思えば、子どもたちには私のできなかった事、できていない事を求めてきた。ピアノ、油絵、サッカー、英会話などいろいろなものにチャレンジさせてきた。そして、それなりに応えてくれて、まずは良かったと思ってはいるが、果たして彼女や彼達はそれでよかったと感じているのか。

娘が言った。「お父さんがしたかったことを子どもに求めるのは、違うんじゃないの。やはり、まずは自分でやるべきなのじゃない?」「欧米の人は、自分のために何でもやるそうよ。自分と子どもは違う人間なのだから」