大阪・関西万博は失敗だったと、何故言わない?
大阪・関西万博
【2025年9月記載】
H電器の社長から万博チケット2枚を頂いた。先般補助金制度を利用してヒートポンプ給湯機や二重窓の設置をしてもらったのだが、制度の適用基準が一部変更されていて補助金が満額下りないので、さらに追加でエアコン1台と手摺りを設置しなければならないという。そのお詫びとしてチケットをもらったのである。
万博に対する私の考えは、グローバル化やネットワーク化が進んだ現在において、その開催趣旨やコンセプトが分かりにくく、時代遅れのイベントだと認識していたので、全く行く気はなかった。そもそも話題性に欠けていたし、お金と時間の無駄だと思っていた。
なので、チケットは頂いたのだけれど、なかなか行く気にならなかった。しばらくは放っておいたけれど、どうせ行くなら早めに申し込み(予約)しなければと、8月の終わりに予約したのだが、午前入場の枠はいっぱいで、9月17日11時入場を抑えるのがやっとだった。
すでに行った人の話やネットからの情報では、パビリオン見学の予約は1件取れればいい方で、入場するのにも時間がかかる。とにかく並ばないといけないし、1つ観られるかどうかで、夜遅くなると出るのにも一苦労する。特にこの夏は暑くて早々に切り上げる人が多いという。
行くと決めたからには多くを望まないまでも、それなりに万博の雰囲気なり行って良かったと思えるようなものはつかみたい。全く何も見なかった、体験できなかったでは口惜しい。妻と二人で万博関連の雑誌を買い求め、ネットやTVからの情報を集めた。
分かったことは、入場するのに1時間はかかる。人気のパビリオンは2、3時間待ちで、予約受付しかないパビリオンも多く、ほとんどのパビリオンには入ることはできない。食べ物や飲み物を買うにも並ばなくてはダメで、いろいろな国の食文化に触れることはほとんど不可能だということ。
それでもチケットはムダにしたくない…この酷暑の中(最高気温33℃)意を決して、老人二人は会場に向かった。
万博は、事前の情報から想定していたものに近かった。およそ1時間並んで入場したのは11時過ぎ、メインのパビリオンは避けて、UAE(ワークショップ見学)、北欧に入館、その後マルタ館でマルタ特有の伝統的なパンであるフティーラを並んで買い求め、休憩所にて噴水ショーを見ながら食べる。午後からは人混みが酷くなり、歩くのもままならない。コモンズ館なども入場規制となり、並ぶことさえできなくなった。仕方なく大屋根リングに登ってはみたものの、会場が俯瞰できる外には見るものもすることもなく、ただ人の波にもまれて流されるだけであった。
残る頼みの綱はナショナルデーでのバルバトスのコンサートであったが、これはマイナーなのか大屋根リングの下にできた列に並ぶことができた。運よくメインの席に座ることができて1時間ほど楽しんだ。そして午後4時過ぎには会場を後にした。
以上で、私たちの万博は終了した。
私たちの例で分かるように、万博といってもほとんどのパビリオンは見学できず、予約制による並ばない万博というキャッチフレーズとはほど遠い予約はもちろん並ぶことさえできない万博となっている。特に、酷暑の中、自由に歩くことさえままならない状況で、高齢者や子ども(赤ちゃん)連れは、そのほとんどが疲れ果てて行く当てもない様子で、かろうじて確保したであろうベンチに座っている…これらを見るにつけ心が痛んだ。
万博協会は入場者数を限定して20万人と言ってはいるが、これが計画通りの数値であるにもかかわらず、ほとんどの人がたださまよい歩いている状況となっているという現実では、協会の運営そのものが失敗であったというのが正しい。万博の運営状態を正しく報道すべきであるのに、全くそれらを無視している旧来のマスメディア(TV、新聞)には不信感を覚える。唯一、ネットでのみそれが現実として明らかになっているだけであり、多くの人がネット情報に頼っているのは頷ける。テレビや新聞は明らかに偏った報道しかしていない。
55年前の万博は夏休みに家族で訪れた。30万人以上の入場者で、暑さと人ごみで大変だったけれど、見てみたいパビリオンには幾つも入れたし、いろいろな国の特長が分かって、国際感覚は十分に掴めた。
そう思うと、あまりにも今の万博は表面的で思い入れの希薄な、入場者数だけ数字合わせをした万博であり、私たちの心に残るような万博とはなっていない。主催者はあくまでも成功したというだろうけれど…。


