なんでも頑張ればいいってもんじゃない...病気で人生観は変わる

私のこぶとり物語

【1995年5月記載】

  あと一週間もたてばゴールデンウィークだというのに、とても憂鬱な週末であった。仕事も一応の区切りをつけ、机のまわりも普段とは違って丁寧に片付け、少し早めではあるけれど退社することにした。あまり人に会いたくなかった。何もしゃべりたくない心境だった。なにせ3日後からいよいよ入院なのだ。病名は「顎下腺腫瘍」、喉の辺りを切り開いて腫瘍部を取り除く手術をすることになりそうだ。とても繊細な手術になるに違いない。それを思うと気が滅入って、どんどん精神的に落ち込んでいきそうになる。丁度、F室長も帰り支度をされていたので一緒に帰ることにした。こういう時は明るく打ち解けて話のできる人と帰るのが一番だ。それでもやはり大きなため息ばかりが出てしまい、何ともやりきれない状態はどうしようもなかった。しかし、別れぎわにF室長が私の肩を大きくポーンと叩いて、

「ほら、俺の運をやるから頑張れ」

とても意外だった。滅入っていた気持ちが少しは晴れそうに思えた。

  こぶとりじいさん、正確にいえば瘤を持ったじいさんは昔もいたのだろう。昔話にもあるくらいなのだから、それも相当の数の人が瘤を持っていたに違いない。陽気に楽しく踊ったじいさんは、鬼に喜ばれ、瘤をきれいに取ってもらったが、無理矢理しぶしぶ踊ったじいさんは、鬼に嫌われ、逆に瘤が増えてしまった。

  陽転思考とまでは言わないにしても、いつも明るく楽しく振舞っていれば、瘤なんか何処かへ吹き飛んで行ってしまうのか。オプティミストは良くて、ペシミストでは駄目なのか。こぶとりじいさんの瘤はいったいどうして取れたのだろう。傷跡が全くなくきれいに取れたというのだから、自然に引っ込んだのだろうか。鬼は瘤に放射線治療を施したというのか。しかしながら瘤は引っ張って取ったらしいから、外科的な手術をしたに違いない。傷口はきれいに縫えばほとんど目だたなくなるから、無いのと同じだ。

  昔の人も瘤で苦しんだ。それが無ければどんなにスッキリすることか。そんな多くの人の願いがあったに違いない。陽気なじいさんは、気持ちも体も、ものの流れが活発化して、それで瘤が消滅した。陰気なじいさんは、体の中に悪いものが溜り続けて、瘤が増えてしまったのか。何も悪いことはしていないのに、ただ性格が暗いというだけで..。

  世の中、こんなものかも知れない。

  4月24日、いよいよ入院する日が来た。子どもたちと別れ、妻と二人で不安と一緒に京大病院口腔外科に入った。入院してから4月28日の手術までは、やはり長かった。はじめの日はそうでもなかったのだが、手術前の診察を重ねていく段階で、執刀医のF先生がズバリと今回の手術の危険性を言われるし、主治医のT先生は励ましてはくれるが、その可能性について否定はされない。全くもって不安定な精神状態になってしまった。

  手術の前々日の夜、再び妻と二人で呼び出され、両先生から最終的な手術の合併症の可能性についての説明を聞き、その際の危険性に対しての承諾を確認させられることになった。

「今回の腫れ物が良性のものであれば良いのだが、これは切ってみないとはっきりしません。もし良性のものでない場合、顎下腺だけでなくその周りの部分も除去しなくてはならず、そうなると神経を切断せねばならず、口が歪んだり、舌の味覚が無くなったりするのは必至です。丁度、ビートたけしの様に..。その上で後処理として放射線治療をすることになります。可能性としてはとても低いのですが...」

「また、たとえ良性のものであっても、とても大きく腫れているので、細い神経は切ってしまうこともありえ、そういった場合も多少の後遺症は残ると考えていただかなくてはいけません。この顎から首の周りにかけては沢山の神経が走っていますし、またそのパターンは必ずしも教科書に書いてある様に一定であるとは限らないのです」

「これはほとんど有り得ない事ですが、輸血が必要になったときにおこる合併症としてのHIV等の感染や、麻酔による植物人間化についても認識しておいてください」

自分でも血の気がひいていくのが分かった。(やばいなぁ...)

それを感じてか、先生方も

「95%良性のものですよ」

「ちょっときついことを言いましたけれど、たぶん大丈夫だと思います」

「頑張りましょう。きっとうまくいきますよ」

と笑顔で励ましてはくれたのだが、しかし私の頭の中は、残り"5%の可能性"のことで一杯になってしまった。

  最悪の場合にはどうしよう。顔がグチャグチャになってしまう。そうなれば今の対人的な仕事は憂鬱になるだろうし、第一仕事なんてもうどうでもよくなっちゃって、暗い人生になってしまうだろう。親にも、子どもたちにも、変わり果てた姿をさらさなければならないなんて..。

  何でこうなってしまったんだろう。やっぱり仕事のしすぎかなぁ。あまりにも付き合いが良すぎて、いつも夜遅くまで飲んでいたからに違いない。..やめときゃ良かった。手術が終わった時、どんな気持ちになっているだろう。あ~ぁ悲しいなぁ。

  完璧に夜は眠れなくなった。ただ、ただ静かに幸運を祈るだけ..。私は宗教を信じない。けれど人生には運と不運がある。できる限り運に恵まれて生きたい。だからF室長のくれた運はとても有難かったし、隣のSさんから頂いた私の干支の未のお守りは大切に思えた。

  運は大事にしたい。

  ・・・・・・T先生の声がした。何とか無事に手術が終わったようだ。妻の声も聞こえる。弟も結果を聞きに来ているらしい。F先生の汗だらけの顔がのぞき込んで来た。何となくまだボヤッとした感じだが、うまくいったらしい、成功だ。良かった、嬉しかった、そして有難かった。

  快復は早かった。2日間はほとんど動けなかったが、後遺症もほとんど無いようだ。傷口は左耳の後ろから顎の先にかけて、15cmくらいあったが、これも次の成長への足掛りだと思えばたいしたことはない。

  しかし人生観は変わった。今までは会社生活があってこそ、家庭生活があり、人生があるのだと信じていた。仕事が全ての土台だと思っていた。事実そうであることに変わりはないけれど、何の為の人生か、もっと考えてみることも必要だと思った。人並以上の生活を送りたいとする物質的、金銭的欲望や地位、権力といった欲望もあるだろうけれど、それが為に思いもかけない落し穴に落ちることだって十分有り得る。今の自分に出来ること、自己の容量(精神力、体力、能力)をもっと正確に把握して人生を計画しなければ、それこそ目先の欲望の追求さえも危うくなってしまう。  肩肘を張らないで、ゆったりと大きく計画して、今を楽しく生きることだ。今の自分と子孫のしあわせを願って生きることが最大の目的なんじゃあないのか。そのための努力はしてもいいけれど、もう仕事のための努力はしたくない。しあわせのための努力をすることだ..。企画の仕事だってそういう気持ちでやれば良い。

  今日を我武者羅にやっていれば、きっと明日は良いことが待っているはずだと思い込んでいた。何でも良いから努力をすると必ず報われるものだと..。

  病院で外出許可をもらい、妻と二人で出町柳に行った。春の日差しを浴びながら、加茂川に沿ってゆっくりと少しだけ散歩した。
  柔らかなうれしさが、少しずつ込み上げてきた。