31年前、中国は建設ラッシュが始まり、そこら中が竹の足場で覆われていた
上海出張 その2
【1994年9月記載】
ものすごく充実した4日間であった。海外生産や海外調達を考えていく上で、中国は知っていなければならないということで、技術部会として研究所長以下各事業部の技術部長さんたちと一緒に、事務局の私も上海に行かせて貰った。仕事で海外に行くのは前回の欧州視察からまだ1年ちょっとしか経っていない。おそらく周囲の人からは随分と羨ましく思われたことだろう。仕方がないけれど....。
聞くと見るとでは大違い、やはり百聞は一見に如かずであった。あまりの違いにびっくり、まさにカルチャーショックである。アメリカ、ヨーロッパとは全く違うものであった。欧米はどちらかというと今の日本の暮しの延長であり、生活のレベルもだいたい想定ができた。しかし上海は違った。あまりにも格差が日本とはありすぎた。その現実を目の当たりにするとなんだか哀しくなってくる。そこに住んでいる人々があまりにも私たちと良く似ていて、身近に感じられ、あたかも丁度私の幼い頃の風景がそこにあるようで、ひどく懐かしい人たちのように思われてならなかった。
外国へは観光で行ったのではつまらない。観光はその国の過去を見て歩くのであって、決して生きている"今"に接することにはならないし、過去の遺産の芸術や建築物を見ても生の迫力には欠けると思う。やはりその国の人たちと話をして活きた文化と接しなくては面白くない。直接利害の絡む話の出来るビジネスで行くのが、その国を知るのには一番効果的だと思う。
今、上海は急激に生まれ変わろうとしている。古い家屋が壊されて、次から次へと新しい高層ビルが建てられていく。しかも人の力に頼った工事方法なので、そこら中に人が溢れ、街は瓦礫に覆われ、嫌にほこりっぽく、汗と垢にまみれた感じが漂っていた。道路には自動車と自転車がお互いに我がもの顔でうごめき、人はあとからあとから湧いて出てくる、先進性と後進性が入り交じった妙なミスマッチが不思議にも意外とうまく共存できていた。
上海の人の平均月収は800元(約9000円)、一日ざっと40元くらいか。ところで電子レンジの合弁会社の設立が予定されている浦東新区の視察や日系メーカーの工場見学に終日チャーターした国営マイクロバスの運転手さん、歳の頃は40歳前後だったと思うが、昼食時に昼飯代として20元あげようとしたのだけれど受け取らない。見学が終了してホテルに着いた時、チャーター代のおつりをチップとして渡そうとしたのだけれどこれも受け取らない。こうなったらこちらも意地だ。筆談や身振り手振りで何とか無理矢理胸のポケットに押し込んだ。やっと意味が分かったらしく嬉しそうにしてくれたのが有難かった。
一方これと対照的なのが帰りの上海空港、20歳くらいのポーター二人が、愛想よく荷物を運んでくれて、搭乗の手続きまでしてくれたのだけれど、チップを要求しだして、「800元くれ。」という。いい加減にしろと怒鳴ってやりたいくらい図々しい。結局300元で決着がついたけれど、どうにも今もって癪に障ってしようがない。中国型資本制経済の中に生まれた銭ゲバは、なかなかどうして食えたものではないようだ。
いったい何が真の中国なのだろう。その巨大な市場を目指して世界中が乗り遅れまいと躍起になっているけれど、12億人の茫洋たる大国はとても掴み所が無いように、私には思えた。

