30年前も今も似たような経験をしているが、ICTは大切。それを拒否したらすべてが止まる
電話は便利?
【1993年冬記載】
幼い頃、そう昭和30年代であったが、私の生まれた田舎では電話のある家はごく稀であり、隣の郵便局にあるだけだった。だから家宛の電話は郵便局にかかってきたので、そのたびに(回数的にはごく少なく月に1~2回程度か)、200~300メートル先の郵便局から大きな声で呼んでもらっては電話に出ていたものである。しかしだからと言って、そんなに不自由は感じなかったし、特別電話が必要だとは思わなかったように思う。
けれど今の情報化時代には電話は不可欠であり、さらにはFAXも各家庭に必要なものとなってくる様にも思えるが、果して皆本当に便利だと思ってうまく電話を使っているのだろうか。むしろ電話に追いまくられているのではないだろうか。情報に追いかけられている....やたらめったらとそう必要でもない用件にまでいちいち電話をかけたり、聞きたくもない電話がかかってきたり、間違い電話やいたずら電話までかかってきたりする。
しかしこれらはまだましな方かもしれない。一番始末におえないのは、この電話があるために余計な心配をしたり、かえって連絡がとりにくくなったりすることだ。特に私の場合、遠くの田舎に年老いた両親がいるので、定期的に電話で連絡を取り合っているのだが、最近私の方はFAX兼用の電話に、両親の方はコードレスの親子電話にしたため、お互いに連絡が取れずに心配することが多々ある。受話器がきちんとセットされていなかったため、電話が一日中話し中になっていたとか、呼び出し音を"切る"にしていたため電話をしても誰も出てこないとか、誤って在宅なのに"留守番電話"のボタンを押していたとか、留守録をしていたのに聞き忘れていたとか、FAX待機中にしたままで電話が通じなかったとか、その度に連絡が取れず心配し、家中がさらには親戚中をも巻き込んで大騒動する場合が幾度となくある。そして「こんなもの本当に必要なんだろうか。無茶苦茶不便だ。もう要るもんか。よっぽど前の黒電話の方が良かった....。」と思うことしきりである。
ボタンの数が多すぎる。使わない機能が有りすぎる。やはり電話は話をする道具である。だから単に話が簡単な操作で出来たら良いのであり、余計なものは要らない。ましてやそんな要らない機能のために、本来の使いたい機能が使いにくくなるなんて論外だ。
この電話に代表されるように、今の家庭電化製品は無駄が多い。一昔前の電化製品の方が本当にその機能の特徴を活かしていたと思う。あまりにもマイコンが普及し過ぎたせいか、それとも技術者が技術に懲りすぎてしまったのか....、今一度商品のあるべき姿の再考を要する時期にきていると痛感せずにはいられない。