23年ぶりに同期入社の同窓会をしようと思う。どれだけの人が集まるだろうか...

同窓会

【2002年2月記載】

 この会社に入社した時の導入教育で指導員をしてもらったKNさんが、今回の早期退職制度を利用してリタイアされたのを機会に、入社時同じ班で指導を受けたメンバーが久しぶりに集まった。KNさんを入れて全員で10名。およそ40%が集まったことになる。今回も私が幹事をやることになった。なにせこの20年余り、KNさんと同じ事業場で仕事をしてきたのだから、当たり前と言えば当たり前なのだろう。

 入社してすぐの時期は、同窓会をやるといってもとても気楽だった。20人余りの同期の者が、何の利害関係も上下関係も無しに、気をつかうことも無く、集まって飲んで言いたいことを言っておれば良かった。そして同期入社の者同志、互いに励まし合うといった雰囲気があった。

 しかしそれが5年、10年、15年と経つに従って、会社での地位も少しずつ差ができてきて、やはり出席しにくいような、気後れするような感じの人もいるのだろう。KNさんの退職という節目の会でもあるにもかかわらず、思ったほどには集まらなかった。

 正直、私自身前回までの6、7年前までは、少しも気後れするようなことは無かったが、今回はあまり気乗りしなかった。体の調子が今ひとつで、あまり飲めないということもあるが、自分でも出世街道から少しずれてしまっているのが分かるので、出世街道まっしぐらの奴らに圧倒されては面白くないという気があった。

 今回は社内の検索システムを利用して名簿を作成し、Eメールでほとんど全員に案内を2度にわたって送ったのだが、全く返事を送ってこない者もいたし、遅くなって同窓会開催の間際にやっと欠席の連絡をくれた者も何人かいた。それらは全員、出世という2文字からは程遠い者ばかりであった。無理もないと思った。それでも一人二人は、そんな事は気にしないで集まってくれた。心からKNさんに感謝の気持ちを表したかったのだろう。偉いと思った。

 文系はみな順調に出世したようで、ほとんど全員が集まった。中でもTさんとSさんは共に支店長にまでなっており、今や飛ぶ鳥を落とす勢いであった。逆に理系は15人以上いるのにほとんどがコースから外れた感じで、誰一人部長職になった奴はいなかった。

 支店長になった二人は横浜、名古屋という遠方にもかかわらず真っ先に駆けつけてくれた。KNさんを囲んでの懇談でも、次から次へと話を切り出し常に話題の中心にデーンと陣取っていた。
「KNさん、横浜に来られたら是非立ち寄ってください。車を迎えに行かせますから」
「私のところの運転手はもう定年間近で、私が12代目の担当になるらしく、『この代で是非終わらせて欲しい。縁起が悪いので13代目にまでは行きたくない』と言っているんだ。面白いだろう」
「KNさん、是非あと10年は生きて下さい。少なくとも指導を受けたこの班から役員が出るのを見届けてからにして下さいよ。ワッハッハッハ...」
なんとまぁ威勢のいい言葉だろう。同窓会の常なのだろうが、あまり会社での地位や功績を言い過ぎると、言っている当人は気持ちが良くて楽しいのだろうけれど、聞かされる方はたまったものではない。
「そうだ、次回からの幹事はKNさんにしよう。どうせ暇なのだから丁度いい」
いくらなんでもそれはないだろうと思っているうちに、話の勢いから、KNさんはOKしてしまった。何ともやりきれない気持ちになった。挙句の果てには、煙草を切らしてしまったらしく、そばに居た同期入社なのだが高専卒で年下にあたるKさんに、小銭を渡して
「これでこの空き箱と同じ煙草を買ってきてくれ」
と言いつけた。
「おいおいTさん、それはないぞ」
とやわらかく諭したのだが..。

 同窓会をいつまでも楽しく続けることは、本当にむずかしい。特に同じ会社においては、その時の地位が如実に現れてしまう。出世した奴は、まさに故郷に錦を飾る気分で出席するだろうし、そうでない者は自慢話を聞かされるばかりで、かえって気が滅入るだけだろう。

 今までは、KNさんという先生を中心に教え子たちが集うという構図だったけれど、これからはどうなることか。せめて一番の出世頭を囲んで、そいつを肴に酒でも飲める雰囲気がつくれたらいいのだけれど。Tさん、Sさん、きみ達の話を喜んで聞ける会にしたいものだね。もっともっと弱い立場の人の話を聞こうよ。