16年前、スマホは必須アイテムではなかった。そして乗客にはまだ表情があった...

物静かな人たち

【2009年2月記載】

日曜日の夜になると、翌日からの仕事に備えて、滋賀に赴く。月曜日の朝早くに出勤しても良いのだけれど、早く起床しなくてはならず生活のリズムが乱れて、その日、一日中体調が思わしくない。したがって、できるだけ仕事の始まる前日には滋賀の単身赴任先に行くようにしている。その方が、妻の負担も少なくなり、お互いに助かる。日曜日の夜に移動するようにしてからは、身体的な負担もそうであるが、「早く起きなくてはならない!」といったストレスが無くなり精神的にも楽な気持ちになれたように感じる。

しかしそうは言っても、日曜日の夜、夕食を終えて、ひとり家を出て行くのは寂しい。ときどき子どもたちが、「もう、行くの?」とか「せっかく帰ったのに、もっとゆっくりしたらいいのに」などと言ってくれるのが、とてもうれしく感じてしまう。

いつも滋賀に向けて家を出るのは、20時から21時頃で、次男が中学生の時に使っていた黒に赤いフックの付いたナイキ製の大きなバックパックを背負って行く。こいつはとても優れもので、少しくたびれかけてはいるものの、ものすごく収納性がよく、持ち運びしやすい。カッターシャツの着替えと書類や書籍、それに果物や保存食品などを詰め込んでも、びくともしない。少し重いけれど、とても便利だ。

奈良から京都までは約35分、京都から単身赴任先までは約20分、およそ1時間で着く。奈良からは、京都行き急行に乗るのだが、いつも乗客は疎らで、ゆっくりと座っていける。乗客は大きく二分され、ひとつは40~50代のサラリーマンたち、もうひとつは20代の若い世代。ほとんどがひとりであり、あたりの暗さと呼応するかのように皆一様に沈んだ雰囲気で物静かだ。昼間の活気あふれる客車の雰囲気とは全く違う。若者たちも、昼間のように携帯電話でメールとにらめっこをしたり、iPodで自分の音の中に浸りきっているという感じではない。本を読んだり、考え事でもしているのか、とても落ち着いている。サラリーマンたちはどうかというと、これも静かだ。第一、平日の朝や夕方にみられるような新聞や雑誌を読んでいる人は皆無だし、表情に色が無い。怒ったり笑ったりするわけでもなく、では疲れた顔かというとそうではない。みんな、家族から離れ、今から単身地に行こうとしているかのように、少し寂しそうだ。まさに私と同じように。大きなカバンやバックパックを抱え、ネクタイを締めて、ただひとり静かに物思いに耽っている。これから京都を経由して、いったい何処へ行くのだろう。

日曜日の夜に移動する人たち。これらの人たちに、やすらぎはあるのだろうか。ブルーマンデーに向けて憂鬱な時間帯ではあるけれど、日曜日の夜は家族一緒に過ごせる唯一の時間で、ゆっくり家族で会話を楽しみ、コミュニケーションをはかる憩いの場なのではなかろうか。なのに、それを捨てざるを得ない状況にある。おそらく、私のように毎週末に自宅に帰るというのは稀で、ほとんどが1ヶ月や2ヶ月に1回程度の帰宅に違いない。こんなにも多くのサラリーマンが日曜日の夜に動いている現実を目の当たりにすると、今のくらし方が本当に幸せなのかと、考え込んでしまう。

移動のしやすさが単身赴任を可能とすることにより、かえって家族のコミュニケーションを阻害している現実がここにあるような気がする。