10年前、まだ年賀状の習慣は残っていた...時の流れは速い!

年賀状

【2015年1月記載】

年賀状(年賀はがき)は毎年の恒例行事で、いつも出すのに苦労している。私の場合250枚程度あるので、とにかく時間がかかってしまう。まず、図案や構成を考えるのが大変で、少しでも個性を出したい一方で、あまり懲りたくもないし、手軽に済ませたいとも思う。ひと昔前なら、プリントごっこを使っての、2、3日がかりの大仕事だったのだけれど、今はパソコンでとっても簡単にできるようになった。が、それでもいろいろなデザインがあり、選ぶのも大変だし、少し加工してオリジナル性も出そうとするので、そう簡単ではない。加えて、住所の確認作業もあるので手間はかかる。

しかし、年賀状は自分の状況なり今の思いを、知人や友人に伝える意味合いが強いので、どう伝えようかと思いをめぐらし、悩みながらも、どう作ろうかとそのメッセージ性を楽しんでいる。あまり押し付けがましくならず、それでいて端的に分かるように、どうスマートに格好よく表現しようか..と。しかし結局は、どおってことない、ごく平凡なものに仕上がるのだけれど。

最近の年賀状は、結構バリエーションが抱負で、年賀はがきの種類も多種多様になっている。従来の普通紙よりも、自宅のプリンターでの印刷がしやすいインクジェット紙のものが主流となっている。色も白色に加えて、淡いピンクやグリーンのものもある。また、近年パソコンで写真を多用する人も多くなっているので、インクジェット写真用というのもある。さすがにこれで来る写真はきれいだ。

ほとんどの場合、宛名書きは手書きではなくプリントであり、いかにパソコンやプリンターが普及しているかが分かる。また、頂く年賀状のメッセージ面にはおおよそ五つのタイプがある。

ひとつは、挨拶文と図柄がプリントしてあるだけで、何も付け加えられていないもの。いかにも手がかかっていないと感じられてしまうものである。忙しいのか、どうでもいいのか。

つぎに、挨拶文と図柄がプリントしてあるのだが、そこに手書きで一言加えてあるもの。「今年もよろしく」「お元気ですか」など、ごく一般的な挨拶程度の言葉がサラッと書いてある。少しばかり伝える気持ちが出ているが、やはり時間に余裕がないのだろうか。

三つ目は、挨拶文と図柄がプリントしてあるものに、「○○へ単身赴任中です」「趣味の△△に凝っています」など、近況が分かるようなコメントが手書きで加えられているもの。何かを伝えたい気持ちがよく分かる。

四つ目は、写真を添付してあるもの。一言コメントが書き加えられているものが多く、画像とあわせて、とてもよく状況も分かるし、伝えたいことも分かって、面白い。伝えたい気持ちをアクティブに表現していて、年賀状の機能をフルに活用している。

最後のタイプは、とにかくたくさんのことを書いている。たくさん写真を貼り付けているもの。伝えたいメッセージがたくさんあるのがよく分かるのだが、あまりにも多すぎて、しかも文字や写真が小さくなるので、読む方は消化しきれない。少し残念。

これらのほとんどが、書く人毎に、毎年同じタイプで繰り返されている。そう簡単には自分のスタイルを変えられないのか、それともそれなりにこだわりがあるのか..。一番多いのは、三つ目、四つ目のタイプで、多くの人は何かを伝えたいと思い、それを実行している。年賀状の意味を考え、それをできるだけ活用しようとしている。私も三つ目のタイプであり、できるだけ伝えたいと思っている。できれば四つ目のタイプで写真を貼り付けたいと考えている。が、妻は違うようで、なかなかこのタイプには移行できないでいる。あまり自分をさらけ出し、自己主張するようなことは嫌なようだ。私は面白いと思うのだけれど。

また、元日にきちんと届く人と、そうではなく3、4日経ってから届く人と結構色分けできる。遅れて来る人は年賀状交換にネガティブなのだろうけれど、一度交換しだすとなかなか止められないのも事実だ。互いに負担に感じていることは間違いないのだけれど、止められない。これを経験すると、新規に年賀状を出すのは憚られ、おいそれとは出したくなくなってしまう。

今年は、Lineで職場の人たちと年賀状のやり取りをした。半年前、給湯機リコール対応用の連絡網としてLineでグループをつくっていたので、それを活用したものだけれど、意外とよかった。一度にたくさんの人へ送れるし、そんなに凝らなくていいし、費用もかからない。コミュニケーションの濃度としても濃いし、必要でなくなったら自然消滅するのだから、不必要に後を引くことがない。

こう考えていくと、年賀はがきには良い所がたくさんあるけれど、いずれは電子メールなどに取って代わられるのだろう。そう思う。