項羽と劉邦ではないけれど、聞く力の大切さをあらためて認識してしまった
聞く力
【2006年9月記載】
T社のユニバーサルデザイン研究所へお伺いし、研究設備を見学させて頂くとともにユニバーサルデザイン(UD)に関する取り組みについて、意見交換をさせてもらった。我社からは私をはじめとする部課長クラスが5名出席したのだが、大半は女性である。T社からはUD推進本部長のA氏とUD担当者が4名、A氏以外はこれも全て女性である。
UD研究所では、UD研究設備を見学した後、研究内容の説明を聞かせてもらった。特に、本部長のA氏の方からは、UDに対する考え方やUDをベースとした商品企画手法への取り組みなどを説明してもらい、研究開発上のヒントを得ることができた。
A氏は自分たちのUDに関する研究内容や実績に対して自信があるのか、とても雄弁になお且つ熱心に長時間に亘って自らの考え方を話してくれた。しかし「君たちにUDに関して宿題を出そう」という言葉に表されるように、少し私たちを見下したような感じなのである。女、子どもに教えてやるんだというスタンスで、一方的に喋るだけで、私たちの意見を聞こうとしない。UD担当の女性はしきりに我社の取り組みについて聞き出そうとしているのだが、私たちがくらし審査やUD評価のすすめ方について説明しても、A氏はすぐに話題を自らの取り組み内容に移してしまう。まるで自分たちのやっている事のレベルの高さを誇るかのように。
これでは意見交換にはならない。いろいろな知識や異なる取り組みから生まれる違った考え方、手法が分からないではないのか。折角の機会を逸してしまう。頭脳の明晰さは重要だけれど、一個人の中から創出できるものには限りがある。創造的思考や作業には、違う視点からのトリガーが重要であるのは自明のことだと思うのだが、それができないでいる。
これがA氏の限界はなのだろう。わるいけれど、私はA氏の話から、モニター制度ではモニターのくらしぶりをもっと深く把握すればよりデータを有効に活用できるということを学ぶことができたし、商品企画に関してもペルソナ/シナリオ法をベースとしたプレゼン方法も考えつくことができた。もしかしたら、頭の切れ以上に人の意見を聞く力というものは大切なのではなかろうか。
自分のやってきた事、考えている事に満足してそれに酔いしれているようではいけない。あまりに喋りすぎることは、往々にして、自己陶酔に陥っている危険性があるようだ。喋っている間は過去の知識の反復や整理に終始し、新たな思考はできやしない。聞く立場になって始めて思考できる状態になる。自分の考えを十分に言ったと満足してしまうようなミーティングでは、得られるものが少ないのではなかろうか。たとえ自分の凄さを示すことができたとしても、そこにクリエイティブなものは何もないはずである。
今のトップ層にもこの種の人材が少なからずいる。会議は自分の言いたいことだけを言う、指示命令だけを言って、事を前へ運ぼうとする。部下の意見に耳をかそうとしない。自分が一番偉いと思っている。確かに職制上はそうなのだが、時と場所あるいは分野によっては、能力的にも、知識的にも常に一番とは言えないはずである。けれど、ついついそう思ってしまう。勘違いをしてしまう。それが凡人なのだろう。
そういう点では、我社の技術本部長は素晴らしい能力を持っていると言えるのかも知れない。頭の切れは良いとは言えない。むしろ悪い方だろう。しかし、こと人の話を聞くという点では他の誰よりも良く聞く。じっくりと聞く。納得し、理解できるまで聞く。時々理解できずに終わることもあるけれど、とにかく真摯に人の話に耳を傾ける。だから判断は概ね誤ることがない。ただし、決断に時間が掛かりすぎるのが、とても大きなネックなのだが。
彼をここまでにしたのは、この聞く力ではなかったか。「頭の切れ」よりも「聞く力」だ。