選挙権は本当に国民の権利なのか...それを大切に考えている人は確かにいる
タクシー
【2004年9月記載】
今回の奈良市長選挙は、前回の選挙とは少し違っていて、現職のO市長が4選を目指すのに対して、父親が元市長であったK氏が対立候補として名乗りを上げたので、いくらかは市民の関心が高くなっていた。
しかし投票用紙が届いたのは投票日の5日前。選挙戦も1週間と短いので、選挙があること自体がなかなか認知されにくいのは確かであった。前回の選挙は、3選をめざしたO氏の前に対立候補といえるほどの立候補者はなく、投票率は26.40%と過去最低であった。私も投票したのかどうか、全く覚えていないような有様であった。
今回も状況はさほど変化していないのだが、私自身、旧態依然とした現状には少なからず不満であった。景気も一向に良くならない中、環境問題が取り沙汰されている昨今の状況において、大きな財政赤字を抱えているにもかかわらず、相も変わらず莫大な公共投資を続けようとする現市長の続投には反対であった。それでも選挙のことなど忘れてしまっていて、家族で夕食をとっていた時、ふと思い出した。選挙のあることを。幸い投票時間は夜の8時までに延長されていたので、7時30分頃、妻と2人で小学校に設けられている投票所へと向かった。
あたりはもう暗くなり、昼間の暑さも幾分か和らいでいた。夕方に降った雨のせいで足元は悪く、照明が不十分なので、注意して歩かないと水溜りに足をとられそうな状態であった。投票所は、投票する人もまばらでとても閑散としており、すぐに投票を済ませることができた。
小学校までは、歩いて3、4分。投票には正味12、3分程度を要することになる。ほんの十数分程度のことではあるが、とても億劫に思えた。
「まぁ、仕方がない。これも市民としての義務なのだから」
そう、決して権利だとは思えなかったのである。
2人で小学校から出ようとして足が止まった。校門の脇に停車していたタクシーが、今にも発車しようとしている。乗客は今投票を済ませたばかりと思しき老人であった。白髪のきれいな上品そうな女性である。わざわざタクシーを利用して投票しに来たのだろう。お金を使って権利を行使しているのだ。
校門から出て、数十メートル歩いたところで、先ほどのものとは違う別のタクシーとすれ違った。乗客は年老いた感じの人である。もしやと思い振り返ると、思ったとおり校門の前で停車した。そう、投票しにやってきたのだ。妻が言った。
「お年寄りは歩くのが大変なのよね。私たちみたいに近くの投票所だとよいのだけれど、そうでないとお年寄りは車を運転するのも簡単ではないからね」
年寄りだけの世帯が増えている。若い人たちと一緒に住んでいるのであれば、車に乗せてもらっていつでもどこにでも簡単に行くことができるけれど、年寄りだけとなると結構きついものがある。
今回の投票率は、前回を大きく上回って、36.77%。残念ながらO氏は4選を果たすことができなかった。市民は変革をK氏の若さに託したのだった。