言葉は重要なツールなだけに、それを捲し立てればいいというものでもない

沈黙は金

【2005年3月記載】

『沈黙は金、雄弁は銀』 広辞苑では「(西洋の諺から)沈黙の方が雄弁よりも説得力がある。口をきかぬが最上の分別」とある。しかし、古代ギリシャは銀本位制で、砂金などで自然に取れる金より、銀は精錬が難しく高価であったことから、元の意味は全く逆という解釈もある。が、沈黙は金であって、やはり沈黙という行為にはそれなりに重要な意味が含まれているように思える。ただ単に、黙っていたほうが下手にしゃべるよりは賢く見えるとか、黙っていたほうが威厳を保てるとか、そんな表面的なもの以外に、沈黙することにはもっと別の意味がありそうだ。

ものごとを論理的に、しかも豊富な知識でもって語られると、十分理解できなくても、しっかり頭の中に入らなくても、何とはなしに納得させられてしまうことがある。そして雄弁にものごとを語ることのできる人は、素晴らしい人だと思ってしまう。しかしその時対象となった「ものごと」については、言葉の理解が上滑りしたようで、やはり分かってはいないということが多々ある。

一方、自分自身で「ものごと」を語るとき、相手に十分理解してもらおうとして、知っている情報をできる限り使って、結構論理的に説明したつもりでも、なかなか相手に伝わらないことも多い。情報が不十分であったり、表現力が未熟であったり、さらにはいくら論理的に説明したと思っても、往々にして論理の飛躍があったり、いくらかの矛盾が生じていたりすることもある。こんなことでは相手に言いたいことの全てが伝わるはずもない。下手をすると、嘘つき呼ばわりさえされかねない。

つまり、私たちが、自分の考えていることや伝えたいことを、全て言葉で表現しようと思っても、それは極めて難しいことだということを認識しなければならない。とくに「ものごと」が未知なる抽象的なものであったり、新しい概念的なものであったりするとなおのことその困難さは増してくる。雄弁にも限界があるのである。

 それではいったいどうすればよいのだろうか。手を変え、品を変え、時間をかけて何度も何度もコミュニケーションを取れば済むというものでもないだろう。話し手が一方的に話すだけでは言葉に表れない部分を解釈することはできない。ある程度の情報を共有化した後は、話し手は一定の沈黙を設けるべきであり、聞き手に考える時間を与えるべきである。そういったやり取りの中で暗黙の理解が深まるのではないか。言葉に表れない高度な意味を理解するためには「沈黙」は金なのである。

 ある程度の雄弁さは必要だけれども、組織としてものごとを進めていく上では、リーダーに要求される資質として、「沈黙」もまた必要なものであるといえよう。