自分の思いがあれば、転職は積極的にするべきだ。昭和人間の私でも、それは分かる

柿の種

【2021年5月記載】

日本農業新聞を読んでいて、頭の中をビクンと刺激する記事が目に留まった。寺田寅彦の「柿の種」からの引用で、棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあしという一文であった。

なかなか意味深く、ものごとの本質的なところをついていて面白いと思った。早速Kindleで検索し、買い求めた。ところが、本の購入価格を見て驚いた。なんと無料となっている。半信半疑で購入したのだが、どうやら著作権切れでそうなっているようだ。これも電子辞書のメリットなのだろう。

ところで、このコロナ禍の中、ここ一年間というものほとんど本屋に立ち寄ったことがない。一度だけ雑誌を立ち読みしたことはあったが、以前のように、どんな本が売れているのか、どんな新しい本があるのか、暇な時間を見つけてもしくは時間をつくって、少しでも視野を広げようと本屋に立ち寄ることはなくなった。

読みたい本があれば、Kindleで買って読めばいいのだから、コロナのリスクを冒すこともなく安心である。が、やはり、情報は限定され少しばかり縮こまってしまった感は否めない。そんな状況下において新聞は有難い。ある意味勝手に、望むと望まないにかかわらず、好むと好まざるにかかわらず、いろいろな情報を提供してくれている。だから先の本も見つけることができたし、新しい違ったヒントを私に与えてくれる。

さて、種と土の話に戻ろう。これは今の時代にも言えることで、いくら良い種であっても、育つ環境が十分でなければ大きくならないし、良い実もつけることはない。

東大出身で優秀でできの良いはずの官僚が、コロナ禍の下では全く機能していない。自ら的確に迅速に動ける官僚が誰一人としていないのではないかと思わせるような有様である。そうかと思えば、IT関連の伸びている企業の経営者は独自の見識を持っているようでとても頼もしく見える。私が社会人になり初めて勤めた会社もそうであった。創業者の指導の下で多くの企業人が育っていたし、彼らはそれぞれに自らの思いを持っていた。いわゆる企業風土によるものだろうけれど、これが土であり環境の良さであったのだろう。

大学を出て、同じように就職しても就職した先によって、以降の人生が全く異なったものになりかねない。硬直化した企業環境に置かれたり、トップの経営理念が無かったりで育つ環境がとても悪ければ、どんな優秀な社員でも腐ってしまう。極端に言ってしまえば、種の質は多少悪くても、育つ環境が良ければ大きくなれると言えそうだ。

種は植えられてしまえばそれまでで、移動することはできないけれど、私たちは動くことができる。自分の育つ環境を常に考え追い求めて移動することはできる。土の良し悪しを判断し、自分に合った土を求めていくことをしなければいけない。