組織は肥大化すると要らない仕事が増える?...まさにトップの力量が問われることになる

テレワークに向く仕事とは

【2022年3月記載】

最近本をあまり読んでいない。Kindleにしたことで本を積んどくことも無くなり、その存在を忘れてしまったかのように意識の中から消えてしまっている。加えて、コロナ禍の影響もあってか、本屋に行くことがほとんどなくなり、暇にまかせてとか、通勤の途中でとかちょっと立ち寄るということをしなくなったのでなおさらのことだ。だから考えることをしなくなった…。その機会が減った。新しい刺激を得るために頼りになるのは、もっぱら新聞ということになっている。PCやスマホで得るネット情報は、個人の好みに迎合し過ぎていて、視野が広がらないので面白みに欠ける。

ということで、新聞からの情報(一般紙と業界紙の2紙)が大半ではあるけれど、ここのところ目に付くのがブルシット・ジョブbullshit jobsという言葉であり、今の世の中、多くの人がどうでもいい仕事に振り回されているというのである。とても刺激的な表現であるし、何となく実感として同調できるので、少しばかり考えてみた。私のまわりの仕事について。

テレワークを始めて2年が経つ。この2年間、ほとんど週一回の出勤出社で通してきた。そして、それで何の支障もきたしていない、と思える。これは、私を含めて、滋賀の事務所にいる5名全員がそうであって、業務は円滑に進んでいる。大阪の事務所も似たようなもので、責任者もテレワーク大歓迎のスタンスでやってきている。テレワークのやり方が良いのであろう。全く以前と変わらないのだから。仕事は順調に進んでいるし、社員からは何の不平不満も漏れ聞かないし、客先からの苦情もない。派遣先へ行っている150名の従業員からも、特段今までと変わったようなクレームもない。

テレワークは、私たちの仕事、特に間接である管理部門の業務には適合していると判断してかまわないようだ。さすがに商品開発設計の現場で仕事をしている技術社員のほとんどはテレワークをしていない。直接モノを扱っているので、できないのだ。ただし、派遣技術者に指示を出している派遣先の社員は、その多くがテレワークを実施している。

思うに、ひょっとして今私たちがしている仕事って、無くても構わなくて、現場の人たちがいればそれで済むものかもしれないのでは…。

私の仕事の多くはメールのやり取りで、派遣業務に必要なものもあるけれど、業務のほとんどは上司(トップ層)への報告のために、関係部署と連絡を取りあったり、資料を作成するために情報交換をしているのであり、週の多くの時間は、社内での情報交換のための会議に割かれている。テレワークで会議が3、4倍に増えている感覚である。

もしトップ層が賢くて、自ら足しげく現場を見て回り自ら判断する力を持っていれば、もっと本質的なものの見方ができて、さらに先を読む力があれば、今私たちがしている仕事の大半は必要ないと言い切ってしまうだろう。ここ2年間、テレワークで十分仕事ができていたと思ったのは大きな間違いであり、そもそも必要でなかった仕事を自宅に持ち帰ってやっている風にして、適当に済ませているのではないか。

私はトップ層に対しての報告が主であるが、事務所にいるほかの4人も同じようなもので、人事担当は社員と本社との連絡係であり、総務担当はこれまた同じで社員と本社との連絡係に終始している。客先との契約担当者も契約書を印刷したり郵送する時に出社する程度で、普段は自宅にいて、仕事の傍らに時々幼い子ども二人の世話をしているようだ。OB担当はOBさんたちの世話をしているというより(OBは自分で仕事を完結するスキルがあるので)利益率アップのためOB派遣価格の交渉を客先としている。これもOB事業の趣旨(利益は優先せず、OB雇用に徹する)からすればやらなくてもよい仕事である。

特に私が入社した頃は、前身の技術者派遣会社が設立されたばかりで、50人程度の小さな会社だったが、今は800名以上の大きな会社として統合され、管理システムが重厚になったこともあり繁忙感は著しく増大した。しかしそれに反比例するかのように現場で働く技術社員と接触する機会はほとんど無くなってしまい、何をしているのか分からなくなってしまっている。部下である技術社員のことが把握できなくなってしまった。

テレワークで済む仕事って、その多くは本来必要でなかった仕事なのではないのか。テレワークでできる仕事をしている人はそのうち必要でない人となってしまう可能性があるのではないか。たとえ私がいなくても、会社にとってそれほど影響はないだろう。自分では役に立っているつもりでも、テレワークで済むようなどうでもよい仕事をしているのだから。