私は偏見に満ちていた...昭和の男性は時代に流され過ぎていた。女性はもっと前面に出ていいと思う
女は頭が良い?
【2006年6月記載】
女性というものは、あまり賢くない生き物だと思っていた。実際、私は小学校から大学を卒業するまで、女の子の同級生で頭の切れる子を見たことがなかった。見たことがないとはすこし言い過ぎではあるが、少なくとも女性よりはるかに男性の方に頭の切れる人間が多かった。女子の同級生で、大学に進む子は少なく、ほとんどが高卒止まりか短大に進学する程度で、大学受験に向けて互いに鎬を削ったという女性は2、3人程度と少なかった。同世代の女子のほとんどは勉強にはあまり力を入れず、クラブ活動をしたり、家事の手伝いをしていたように思う。
また当時の世の中の風潮も、女性は早く結婚して、家庭に入り、育児や家事に専念するもの。外で働く男性に養ってもらう代わりに、家庭を陰ながら支える存在であり、良妻賢母が女性の鏡であるかのように教えられて育った。だから、私の頭の中に、”女性”イコール”男性の付属品”そして”あまり賢くない生き物”という固定概念が入っていたのも仕方がないのかもしれない。
しかし、世の中は変わった。とにかく便利になった。独りで生活するのにあまり困らなくなった。家庭電化製品は行きわたり、家事はさほどの負担でもなくなり、食事も簡単に取れて、しかもより美味しくなった。自由になる時間は随分と増え、その分、働く女性も増え続けている。そう、女性を取り囲む環境は著しく改善され、同時に彼女たちの意識も相当変わったといえるのではなかろうか。「男性に頼るばかりの存在ではなく、自分たちも自立した存在であり、十分働けるのだ」と。
大学への進学率も、1972年では 男性34% 女性9%であったのが、2002年では 男性47% 女性34%となっていることからも分かるように、今の世相を反映してか、女性の勉学に対する意識も高まって、男性とあまり変わらなくなっている。1972年に18歳になった人数はおよそ177万人。それが2002年では149万人と著しく減少しているので、あたかも大学受験は易しくなったと思いがちであるが、実は先の進学率と掛け合わせると、大学進学者は1972年で38万人、2002年では60万人とおよそ1.5倍になっているのである。むしろ大学受験は難しくなっているといえる。
先般、東京大学生産技術研究所の一般公開があったので、2日間ほど見学に行った。公開されている研究テーマはざっと150くらいであろうか。単純にパネルを見て回るだけでも2日間では少しきつい。研究の背景、少し詳しい内容や疑問点などを聞こうとすると1テーマあたり30分はゆうにかかる。とても全部は見切れない。ただ、毎年恒例の行事なので、おおよその技術内容は把握しており、私たちの仕事に近いと思われる研究内容をセレクトしながら回れば、結構ゆっくり、じっくり聞くことができて面白い。この一般公開は3日間あり、結構な時間を費やすので、私たち一般人、とくに企業の技術者に説明する役割は、専ら大学の助手や大学院生が当たることになる。
私たちの質問は、当然の事ながら素人が聞くので、ごく基本的なことを「なぜ? なぜ? なぜ?」で繰り返すこととなる。これは極めて本質的なことに対する追求となり、「なぜ?」を2回繰り返せば、ほとんどの人は答えに窮することとなる。したがって答える方は大変である。そうではあるが、やはり東大である。結構分かりやすく丁寧に説明してくれるので有難い。
しかし、ひとつ気になることがあった。私たちの質問に、一所懸命に、しかも真摯に答えてくれた学生の丁度半分は、女性だったのである。‘空間メモリー’を身振り手振りで私たちに理解してもらおうと一生懸命説明してくれたD3の学生、‘カイコの神経細胞’を各種顕微鏡を覗きながら説明してくれたまだマスターコースとおぼしき学生、‘光合成のしくみ’をヒントに太陽光利用を研究している研究室のリーダー的な学生など、全部で7人の女性が私の質問に付き合ってくれたのだった。
男性の中でも同じように丁寧に説明してくれた学生がほぼ同数の6、7人はいた。しかし、その他の男子学生は、私が近づいて行くと、所定の説明場所から少しずつ後ずさりをしていき、いつの間にかその場所から姿を消すことが多く、甚だしい場合は女子学生に押し付けるようにしてその場を去り、自分は陰から私たちのやりとりを観察しているといった具合である。説明員の数としては圧倒的に男性が多いのに、いざ説明する段になるときちんと説明できる人数は女性が多いように感じられた。
もちろん、毎日まじめに授業を受け、コツコツと努力を重ねていくタイプが、女性には多いからだとは思うけれど、それでもその内容を理解し、自分のものにしていく力はたいしたものだと思わざるを得ない。おそらくチャレンジ意欲も旺盛で、目的意識も高いのだろう。世の中が安定し、純粋に知的能力だけが問われる時代には、いくら出産というハンディキャップがあるとはいえ、女性の力が大きなウェイトを占めることになるのは当然の帰結なのかも知れない。