睡眠は、1日24時間の中心にあるべきはずでは...

朝はなぜ忙しいのだろう

【2013年4月記載】

始業前の8時50分頃になると、更衣室から居室にかけての人の動きが慌ただしくなる。誰も彼もが、脇目も振らずに、足早に行き交う。朝のこの時間はみんな忙しそうだ。

どうしてなのだろう。答えはすぐに出る。始業開始ぎりぎりに出社するからだ。私のように、とは言わないまでも、始業開始の1時間以上も前に出社すれば、こんなにも忙しそうに振る舞うことはない。そして、なんとはなしに、意識することなく、仕事に取り掛かれる。仕事とプライベートに区切りがないようなもので、それも問題だけれど、ゆったりと仕事を始められるのは、精神的にも楽である。

それでは、どうして始業開始直前にならないと出社できないのか。そもそも会社での仕事はできるだけしたくない、だから始業間際に来るのは当然だということもあるのだろうが、どうしても朝は起きるのがつらく少しでも長く寝ていたい、よって出社するのがぎりぎりになってしまうという人が多いのではなかろうか。

時間に追われない休日は、みんなゆったりとしている。ゆっくり起きて、のんびりと朝食をとるのが普通だ。朝は決して忙しくない。

そもそもみんな寝るのが遅い。平日は、仕事で帰りが遅くなり、通勤には時間をとられ、帰宅しても、テレビを見たり、酒を飲んだりして、寝床に就くのは午前零時を過ぎているのではなかろうか。きっと睡眠時間が6時間以下という人も多いはずだ。だから、仕事に間に合う時間まで、寝ていたい。とにかく間際まで寝ていたい、ということになる。睡眠は1日24時間の中での、生活スケジュールの中での、バァッファなのである。睡眠時間の長短で1日24時間の帳尻を合わせている。それほど、睡眠時間は何とでもなるものなのである。

本当にそうなのであろうか。私は違うと思う。睡眠時間こそ、きちんととらなければならないものであり、優先しなければならないものだと考えている。

睡眠は生きていく上でのベースであり、これをいい加減にしてしまうと、生活のリズムが損なわれる。また、それだけでなく老化や寿命にも効いてくるのではないかと思っている。今までの経験から、睡眠は細胞の消耗を抑制する働きがあるのではないかと感じている。とてもいい加減な、そして非科学的な観点ではあるけれど、人の寿命は一本のろうそくではないかと思っている。ゆっくり少しずつ燃やしてやると長く使えるけれど、大量の空気を供給し、芯を太くして燃焼量を増やしていくとすぐに燃え尽きてしまう。睡眠はこの燃焼の度合いを適正値に調整する、もしくは抑制する役割を果たしていると思う。だから、できる限り睡眠はとらなくてはならない。むやみに消費、消耗してはいけない。体力をつけるために動くことはいい事だけれど、必要以上の体力の消耗は寿命を縮めることになりかねない。

ところで、寿命と睡眠時間の関係について、おもしろい結果が出ている。アメリカでおこなわれた睡眠時間と寿命の関係を調査した結果では、1日に6.5~7.5時間の睡眠をとっている人が最も死亡率が低く、それ以上およびそれ以下の時間、眠っている人は寿命が短くなる傾向にあったという。それでは、睡眠時間のとり過ぎは体に悪いのだろうか。私の感覚ではどうも納得がいかない。

一説によると、代謝量が寿命を決定しているという。運動量や食事量が増えれば寿命が短くなるのである。その一例として、アスリートの平均寿命は一般の人に比べて短い。しかも彼らの睡眠時間は長い。すなわち運動すればするほど、体力を回復させるのに睡眠が必要となり、その分睡眠時間は長くなるというわけだ。

睡眠時間の長い人にはそれなりの理由があるのではないのか。アスリート系の人であったり、肉体労働の人であったり、日頃の体力消耗が激しい人かもしれない。そうであるのなら、単純に、睡眠のとり過ぎは寿命を縮めるとは言えなくなる。もしかして見かけ上の相関関係だけであって、擬似相関と言われる類のものである可能性が強い。

やはり睡眠時間は十分とるに越したことはない。その方が、昼間は無駄な眠気が起こらず、何事にも集中できるので、起きている時間が充実する。この歳になると、寿命もさることながら、それに付随する老化の防止対策としても、睡眠は有効だと思う。