本当に大切なものは説明できない...

理性と感性

【2002年1月記載】

 私たち技術者は、理性というととても論理的で話の筋がはっきりしていて、物事が理論性整然と説明される様を思い浮かべ、理性的な人というと頭脳明晰な人のことを指す場合が多い。反対に感性というと、何かわけの分からないモヤモヤしたものの中からポロッと出てくるもので、一人の人間によるところの感覚的なもの、感情的なものを思い浮かべ、思い込みの激しい一種の芸術的、宗教的なものさえ連想する。そして、そこから導き出されたものも根拠の曖昧なものとしてとらえ、何かしら頼り無さを感じてしまう。すなわち、感性はとても理性にはかなわないと。

 しかしこの自然界において、あるいは私たちの生活している環境の中で、どれだけのことが理性だけで説明がつくのだろうか。そのほとんどがロジックだけでは説明がつかない、むしろ理論的に分かっているのはごく一部にしか過ぎない。そんな中で私たちは暮らしているのである。こんな環境の中で、すべてを理性に頼ろうとするのは少し無理がある。何でも理論的にいくものだと思い込むのは、大きな間違いであることがわかる。私たちは知らず知らずのうちに、私たちが体験したことや体で感じたことをもとに、全身全霊をもって物事を判断しているのであり、いろいろとこれは理論に合っているからとか、論理的に考えた上で物事を判断し、行動してはいない。つまりほとんどの場合において、私たちは感性にしたがって判断し行動しているのであり、感性に負うところは非常に大きいのである。にもかかわらず、この感性をあまりにも軽んじてはいないだろうか。

 大きな流れを掴むなり、将来に向けての舵取りに際しては、この感性の力をもっと活用しなくてはいけない。日頃から仕事の範囲内だけで知識を吸収したり、物事を考えたりしないで、もっと広く情報を集め、もっと多岐にわたる思考をしなければならない。そしてその上で全身全霊、全知能を尽くして、頭の奥底から知力を爆発させるべきなのである。この感性による知力の爆発で生まれた取組みの方向性なり、アイデアについて、具体的に何をどうやって実行していくかは、理性によるところが大きくなってくる。具体策はロジックで整然と誰にも分かりやすく示していくことが必要不可欠であり、これがきちんとしていれば物事は随分うまくいくと思われる。この感性と理性の使い分けが、これからの技術者にとって重要なのではなかろうか。

 ただし、研究開発のプレゼンなどで、あまりにも理論整然としているものについては、よくよく気をつけなくてはいけない。なにしろ研究開発なんてものは、分からないものだらけの中で新しいものを求めていく活動であり、そこに理論が通るわけがない。もしもきれいに筋が通っているのなら、そこにはロジックを通すために何らかのウソがあるはずである。これを見逃してはいけない。ときどき理論はウソをつく。