涙の記憶は今もって忘れられない...

【2005年9月記載】

 成人してから、記憶に残っている涙を流した数は3回。

最初は、大学4回生の秋。大学院の入学試験に失敗し、やむなく就職を決意。その就職試験には一発で合格し、将来の方向も定まろうとしていた時のことであった。就職が決まった同じ学科の友人たちと一杯飲んでの帰り道でのこと。友人の一人が、酔った勢いで私のことを甘えん坊とか、世間知らずとか、そんな類の言葉で軽く挑発してきたのであった。私はどうしたわけか、先に手が出てしまい、相手の頬を平手で殴った。そして相手が抵抗してくる前に、先に自分で泣き出してしまったのである。何故かよく分からないのだけれど、無性に悲しかった。そして泣きながら、自分の中で何かが終わりを告げたような感覚にとらわれたのであった。それまで背負い続けてきたもの、おそらく両親の期待というものに対して、それが私の中で一気に崩れ去ったのを感じたのだろう。大学院に入れなかったことに対して。

 二度目は、結婚して一年が経った頃、妻が流産をした時のこと。そんなに深刻なことではないと頭の中では考えていたのだが、電話で実家の両親にそのことを告げ、父親や母親の慰めや励ましの声を聞いているうちに、電話口で泣き出してしまった。

 そして三度目は、母の死に際して。母の様態が急変し、家族全員が病院へ駆けつけ集まった時のこと。弟や姪、甥たちが母を囲むようにして泣き叫ぶ中で、何故か私だけが客観的でいられた。母と一緒に暮らしていなかったせいなのか。母も大切だけれど、私には妻と3人の子どもたちがいて、大切なものがたくさんあるせいなのか。母が倒れて24年間という長い歳月の間に、いつしかこういう日が来ると覚悟していたせいなのか。とても冷静でいられた。そんな自分に少し驚いたが、いざ母が息を引き取るにあたって、やはり感情が昂ってしまい、そんな私でもとうとう泣き出してしまった。するとどうだろう、ますます熱いものがこみ上げてくるにもかかわらず、胸の中にあった重たいものがスッと消え去っていくではないか。熱い涙が出てくればくるほど、胸の痞えは無くなっていくのである。このとき初めてそれを感じ取ることができて、とても不思議に思えた。どうしてなんだろうかと。

涙には、ストレスを感じると分泌される副腎皮質刺激ホルモンと、苦痛とストレスを和らげリラックスを促す脳内ホルモンが含まれていることから、人は泣くことで血液中に溜まったストレス物質を体外へ排出し、同時に鼻涙管を通って鼻に流れたリラックス成分を吸収することによって、バランスを保っていると考えられているらしい。

過去の経験はいずれも、私自身はそれほどには思っていなくても、それなりのストレスを負っていたのだろう。人生の大きな節目では、人は誰でも、それまでのストレスとは比較にならないほどのストレスを受けるわけで、涙はそんな私の心の手助けをしてくれたことになる。涙は心のケアに欠かすことのできない必要なものなのだろう。そう考えると、人は涙を流した数だけ、人生の壁を乗り越えてきたことになるのだろうか。

ところで、涙の分泌は交感神経と副交感神経が切り替わることでコントロールされており、どちらの神経が優位かで、その量と味に大きく違いが生じるという。怒りや悔しさなどの、交感神経が刺激されて出る涙は血管が収縮した状態であり、本来なら出ないはずのものを無理やり絞り出しているので、カリウム含有率が高く、しょっぱくなるという。逆に、副交感神経優位の涙とされる悲しさや同情の涙は、交感神経による緊張が緩んで血管が拡張するので、量が多く、あまりしょっぱくないらしい。

少し時間が経っているのでよくは思い出せないのだけれど、お母さんの時、少ししょっぱく感じたのは何故だろうか。単なる悲しみだけではなかったのだろうか。