求めるものがモノからコトへと変化したけれど、やはりモノがあっての豊かさなのかも知れない

おしゃれは足元から

【2017年9月記載】

「おしゃれは足元から」って言うじゃない。妻にそう言われて始めて知った。ファッションに疎い私であるから、足元のことなんて、そんなに考えたことはない。ファッションとかおしゃれといえば、ジャケットやズボンなどの着るもののことだと思ってしまい、なかなか足元、すなわち靴のことまでは気がまわらない。トータルコーディネイトが重要で、そのためには靴も無視できないとは感じていたが、やはり、一番気にかけるべきは上下の服装であり、特に上着にしか、私の目や気持ちは行っていなかった。

言われてみると、おしゃれに気をつけている人は靴にも配慮がある。靴に気を遣っている人は、ファッションにとても関心のある人なのだと。いい靴は履き心地も良いけど、型崩れもしない。革がきちんと張っている。安物だと、革はすぐにぶよぶよになるし、磨いてもあまりきれいにならない。

靴がピカッと光っている人を見ると、ちょっと圧倒されてしまう。少し気おくれしてしまう。服装に気を遣っているのが分かるし、その分生活にもゆとりがありそうで、そうでない自分が分かって卑屈になってしまう。

と言うことで、いい靴を買って、大切に履こうとするのだけれど、2、3ヶ月もすると、踵が擦り減ってきて、いくら表面を磨いても靴の価値が下がってしまったようで、手入れもしなくなっていた。

ひと昔前は、踵の修理を頻繫にしていたのだけれど、最近の靴は履きやすさを重視しているのか、踵の部分が柔らかくしかも靴底と一体になっているので、修理がし難くなってしまい、履きつぶすのが常となっていた。だから、余計に靴を磨くなんて作業はしなくなっていた。それでも、靴がピカピカに光っている人を見るたびに、「凄いなぁ」と感じていたし、靴はおしゃれのひとつだと思うようになっていた。だから、踵は何とかしたかった。踵が靴の寿命を決めてしまうなんて、納得がいかなかった。

そんな折、DIYのお店で、靴底修理用の充填材があるのを知った。踵の擦り減った部分に肉盛りして、踵の凹みを解消するもので、ウレタン系の樹脂材料から成っている。早速使ってみた。修理作業も簡単で、なかなかいい感じで踵の再生ができて、靴の擦り減りを気にしなくていいし、歩くのがとても快適だ。月に一度くらい補修すれば、初期の状態を保てるし、踵が擦り減っていない分、靴の手入れにも気合が入る。「おしゃれは足元から」

ところで、靴をきちんと履こうとすると、脱いだり履いたりするたびに、靴紐を解いたり、結び直したりしなければならない。もしくは靴べらが必要となる。

ところが、身だしなみにこだわって、いざ、きちんと靴を履こうとすると、靴べらがない。最近は靴べらを使うという習慣が無くなっていたものだから、靴べらを持ち歩くということをしない。妻に頼んで、携帯用の靴べらを買いに行ってもらったのだが、そう簡単には探せなかったようで、何とか百均ショップでひとつ買ってきてもらった。しかし、茶色の半透明樹脂でできた、とてもダサいものだった。

そういえば、近頃は男の身だしなみとしての小物を、あまり見かけなくなった。靴べらはもちろんのこと、ネクタイピン、カフスボタン、アームバンド、万年筆にライターなど、昭和の時代にもてはやされたものは、そのほとんどが消えてしまったのか。豊かさをモノに求めていた時代は、もう遠く過去のものになっているのかもしれないけれど、何だかさびしいものがある。モノが無くなって、豊かさが減ってしまったかのような気分になった。昭和の時代、確かに私たちは豊かだった。モノに囲まれて、気持ち的にも満足感があった。求めるものは、モノからココロへ移ったというけれど、モノがあってこそのココロの充実だったような気もする。何もかもスマホひとつで済ますことのできる今の時代に、心の充足はあるのだろうか。靴べらひとつで、それを思う。