桜の楽しみ方は、もっと考えた方がいい...

ソメイヨシノ

【2017年4月記載】

3月も下旬の頃になると、さかんに桜前線の話題が出てくる。テレビや新聞では、いつ開花するのか、いつ頃満開を迎えるのか、その時のお天気はどうなのか、日本中が桜の話で溢れるようになる。今、桜と称しているのはもちろんソメイヨシノのことであり、桜にもいろいろ種類はあるのだろうけれど、私たちが一般に桜と言ったらソメイヨシノのことをさしている。けれどこの桜はクローンであり、接木でしか増やせない。遺伝子がみな同じであるから、環境条件さえ整えば、みな同じように一斉に花が咲くことになる。だから、日本中の桜の開花日や満開日が予測可能となり、桜前線という表現も頷ける。ソメイヨシノは全く同じDNAを持っている。全くどれをとっても同じなのである。

ところで、先日、群馬県太田市に出張する機会があった。折しも桜前線が北上する中を西から東へ、そして少しだけ北に向かっての長距離出張であった。これと同じくしてテレビではさかんに各地の桜開花状況をニュースとして流していた。

新幹線の車窓から眺める景色は見事なもので、あたり一面に、次から次へと桜のオンパレードである。しかも、これら桜の植えてあるパターンはおおよそ決まっていた。川沿いの堤防に連なって桜の木が並んでいる。道路沿いに街路樹として植えてある。大きな会社の周囲を桜の木が取り囲んでいる。そして公園の中には必ず桜の木が何本も植えてある。どこに行っても全く同じような景色が映し出される。どの地域、どの街も、桜の木で賑わいや美しさを演出しようとしているのがよく分かる。同じようなパターンで。

日本中、どこも同じになってしまっている。桜が美しくて、見ていて心がウキウキするのは嬉しいのだけれど、結局、地域の特色は無くなってしまっている。日本全体としては統一性があっていいのかもしれないけど。コンビニと同じだ。地域の風景は変わらない。

ソメイヨシノは淡いピンク色で、花そのものはシンプルで豪華さはない。けれど、木全体としては、葉の出る前に花が咲き、それも単一色で染め上げているので、とても華やかであり、それが群として立ち並ぶととても迫力が出てくる。ボリュームで私たちを圧倒してしまう。とてつもなく煌びやかな花といえる。

新幹線で降り立った駅、熊谷には桜の名所があるというので、訪れてみた。満開の時期は少しばかり過ぎていたけれど、それはとても豪華で迫力のある風景だった。利根川沿いに何百本もの桜が連なって、それは見事な景観であった。

最近では海外の観光客も、この桜を目当てに日本を訪れるという。日本の文化として大切にしたいと思う。マスコミで桜前線をとりあげ国民の関心を惹くのもよいだろう。花見で盛り上がるのも楽しくて結構だと思う。

しかし、私だけがそう感じてしまうのかもしれないけれど、この桜の文化もひとつの転換期に来ているのではなかろうか。どこに行っても”桜”、誰も彼もがみんな"桜"、それもソメイヨシノを桜として見る感性..。私はもうソメイヨシノで満腹になってしまったのだが。

それと対照的なのが、吉野の山桜。それは単一な色でベターッとその景色を塗り上げてしまうのではなく、それぞれの桜の木が濃さの違う淡いピンクで山を覆っている。どこかモヤッとした、そんな景色の方が味わい深い。個性の違う木々が醸し出す山全体としての風景、瞬間的なインプレッションは弱いけれど、直球的な迫力には欠けるけれど、私はこちらの方がより強く印象に残っている。あまりにもシンプルで分かり易い美しさは長続きしないような気がする。