朝ドラや大河がこけたNHKでは見るものが無くなった...。TVの存在価値はどこにあるのか
主役交代
【2024年11月記載】
年金生活に入って二年半が経った。収入は限られているのにこのところの急激な物価高で少しばかり将来に不安を抱くようになった。と同時に今まで放っておいた僅かばかりの蓄えを少しでも活用できないかと考えるようになった。
そんな時、奈良県主催の金融セミナーのリーフレットが新聞の折り込みに入っていた。見ると、元NHKワシントン支局長の手嶋龍一さんの講演も予定されている。これは是非行かなくてはいけない。早速申し込んで、妻と二人で出かけた。
話の内容は金融に対する考え方や価値観をいかにして築くかというもので、情報の捉え方を考えさせられるものであった。その中で手嶋さんは何度となく、NHKをはじめとする情報発信に関する疑念をあらわにしたのである。正確な情報を国民に伝えていないと。要点を外した報道になっていると。手嶋さん曰く、「凡庸なNHK」の報道では真実は伝わっていないというのである。
私としては、国営放送であるがゆえに、当局にとって不都合な事実は伝えないようにしていると理解せざるを得なかった。ポイントを押さえていない的を外した報道をする「凡庸なNHK」なのだから。
このところのNHKは大切だと思えることをワザと避けて、どうでもいいようなニュースを流す傾向にあるのではないかと感じていた。だから、NHKのニュースは絶対的だと信じていたものが私の中で崩れ始めている中での、手嶋さんの発言はとてもインパクトがあった。
ところで、先日の兵庫県知事選挙で、パワハラ疑惑で失職した斎藤元彦氏が再選を果たした。選挙戦当初はマスコミ(主にTV、新聞)によってパワハラを追及された斎藤氏は明らかに劣勢であった。しかし、SNSなどインターネットを介して、県民の意識は斎藤氏支持に大きく傾いていき、最終的には斎藤氏の圧勝となったのである。
斎藤氏の勝因はSNSの活用がうまく、若者を中心に斎藤氏に有利となる情報が拡散したからだという。要はパワハラ疑惑を否定するようなフェイクニュースや対立候補を貶めるような情報でもって、県民の意識が変化したからだとマスコミは報じている。
この投票日の一週間前に、私は学生時代の同級生二人と兵庫県でゴルフを楽しんだのだが、その時の懇談で、この選挙の話題が出た。圧倒的に不利と考えられている斎藤氏が当選しそうな勢いになっていると。
彼らの身内には県庁関係者もいて、斎藤氏には絶対に入れないでくれとLINEで頼んできている。ネット上では疑惑とされているパワハラにしても、百条委員会での追及にしても、決め手となるエビデンスは何も無く、報道の仕方が偏っているのではないか、むしろ斎藤氏の方が正しいのではないかという流れであるという。私の友人たちも困惑した面持ちで今回の選挙を迎えようとしていたのである。
今、この選挙結果を踏まえてのマスコミの論調は、斎藤氏の勝利は、SNSを有効に使ったからであり、インターネットでの情報拡散力には凄いものがあり、真実もウソも含めて国民はそれに振り回され、結果的に斎藤氏に有利に働いたというものである。そして、フェイクニュースが溢れているネット情報にはとても危ういものがあるとしている。
しかし、私たち国民、庶民の立場からすると、旧来のマスコミ(TV、新聞)では得られない情報がインターネットでは得ることができて、より多面的な視点でものごと判断したい場合にはとても有効であるというのが実情ではないだろうか。なるほど、インターネットの世界ではフェイクニュースや根拠のない情報が溢れている。しかし、旧来のマスコミでは得られない情報、例えばNHKが意図的に伝えなかった情報がそこにあるとしたら…。情報を選択するのは私たち一人ひとりの判断であり、与えられるもの(あらかじめ伝える側の都合の良いように取捨選択されたもの)だけで判断するものではないはずである。
何が正しくて、何が間違っているのか…。もしもNHKが意図的に一部の情報を削除しているとするならば、それはフェイクニュースを発信しているのと同じなのではないか。フェイクであろうが、何であろうが、あらゆる情報を手に入れることができるインターネットこそが、私たちの主たるメディアなのである。