昨日京都にて昔の仕事仲間たちと旧交を温めた。いくら年月を経ても人は変わらない...
先輩、後輩
【2006年9月記載】
IさんとAさんと一緒に飲みに行った。仕事の関係上、何らかのつながりはあるけれど、それはそれほど強いものではない。ただ、いい奴だから一緒に飲みたいと思った。
Iさんとは新規事業創出に向けての取り組みの中で、約2年間一緒に仕事をさせてもらったことがある。なかなか理論的で、頭の回転が速い。私とは考え方や生き方にも共通点があり、馬が合う。そして何といっても、私の大学の後輩である。
Aさんとは現在ユニバーサルデザイン委員会で一緒に活動をしている。また私が主査をしているユニバーサルデザインワーキングの事務局もしてもらっている。すこし感性的な面もあり、私の思考にいい刺激を与えてくれている。そして彼も私の後輩になる。数少ない高校の後輩である。
Iさんとはよく行動を一緒にする。彼は素晴らしく優秀で、一緒に仕事をしていて得る所は多い。彼の会社での評価が低いのは、なんとも言えず、やりきれない。しかし、私にとっては頼りになる人物である。当然、私の評価は高い。
Aさんは、今のところスムースに昇進してきてはいるが、すこし癖がある。トン、トン、トンと話が進まない。いつも自分の世界に入り込んでしまい、なかなか議論が前に進まない。それで、時々私も切れそうになる時がある。けれど放っては置けない。一所懸命なのが分かるから。
二人とも同じような年齢で、40歳前後である。背は高くてハンサムである。私は明らかにこの二人を贔屓に思っている。見た目のスマートさもあるが、やはり後輩であることはその要因の中で大きなウエイトを占める。どうして、後輩だと親近感が沸き、何もかも良く見えて、ちょっとの失敗でも許せるのだろうか。一種の家族のようなものなのか。
人はみな、一人では生きてはいけないことを知っている。だから赤の他人に対しても、すこしでも共通点を見出し、同胞化、同類化しようとするのか、できるだけ味方を増やそうとする。仲間が増えればその分、しがらみは多くなり、マイナス面も増えるのだけれど、それでも私たちは何らかのグループに属していると安心する。いわゆる閥をつくっていく。
しかし、同じ高校や大学で学んだということには、単なる仲間づくりではない何かがあるような気もする。ある一定の期間、同じ場所で、同じ空気を吸っていたという、懐かしさに似たものが心の中に沸いてくる。それに共通の話題にも事欠かない。生きている環境が似ているということだろうか。利害を超えた結びつきがそこにはあると思う。不思議に思う。