新商品開発の決め手は...アイデアに非ず

温故知新

【2013年1月記載】

今、新しい商品なり、新しい事業なりを創っていこうとしている。世の中のトレンドや革新技術をもとに、いろいろなアイデアを考え、それがものになりそうかどうか検討している。しかし、そう簡単には見つからない。良いと思うアイデアでも少し突っ込んで検討してみると課題山積で、すぐに没となる。ジャストアイデアをいくら沢山考え出しても、形にするのは難しいし、似たようなアイデアは過去から沢山出てきている。単なる発想の問題だけでもなさそうだ。新規商品や新規事業を創出するためには、アイデアを如何にして具体化、現実化することが一番のボトルネックと言えるかもしれない。

アイデアを現実のものにしていくための方法としては、アイデア発想から始まって、商品性、市場性、技術的裏付け、投資計画等を検討し、その都度アイデア評価しながら、これらのステップを順次進めていくのが正攻法であり、これが基本となる。しかし、これをまともにしていくのはいかにも効率が悪い。すなわち労多くして、益少なしである。

もう分かっているのではないか。こういう類の新商品や新ビジネスの検討会で出てくるアイデアは、どれもこれも似たようなものばかり。でもそこから先にはなかなか進まない。いくらアイデアを出したからと言って、それだけではいいものは生まれてこない。アイデアを出すだけではダメだということは、見識のある人はみんな分かっている。そこに期待を持つ人は、若くて経験の少ない人とかこのような体験をしたことのない人たちだけだ。少しでも新しいものを生み出そうと試みた人には、それは分かっているに違いない。アイデアの先にあるものが必要なのだと。

アイデアの先にあるものとは..。ビジネスセンスである。どうしたら商品になるのか。ビジネスとして成り立つためには何が必要なのか。それを考え、解決していくことが新しいものを生み出すことに繋がるということを。

アイデアはある。そして、商品や事業にしようと試みたことも何度かある。でも、失敗した。そんなものの中に成功は潜んでいるに違いない。一度失敗したからといって、諦めるのはまだ早い。何度も浮かんでくるアイデアはきっといいアイデアに違いない。過去失敗しているにもかかわらず。

今こそ温故知新ではないのか。「温故知新」、言葉としては知っている。「ふるきをたずねて、あたらしきをしる」、昔の事に学んで、そこから新たな知見を得ること。しかし、単純に古い事を学習しても、それだけでは何も新しいものは生み出されない。そんな意識でこの言葉を解釈していた。しかし、今、新規事業の創出という仕事を進めるにあたって、試行錯誤を繰り返していく中で、一つの光明として見えてきたのがこの言葉に表されている、過去の経験に学ぶことが有効なのではないかということである。過去の経験をトレースするだけでは何も新しいものは生まれないけれども、そこに私たちの新たな情報や今までとは違う事業の形態を取りこむことによって、新しいものが生み出されるのではなかろうかという思いに至った。温故知新も、過去の蓄積をベースに、新しい情報や考え方を加えることによって、はじめて新しい知見なり、新しいものが生み出されると解釈すべきなのだろう。

ニュートンの言葉に、「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」というのがある。これと同意義の言葉ではないのか。現在、私たちの商品開発レベルはひと昔よりも高くはなっているけれど、その良くなっている点(技術力やニーズ把握力)を活かして、もう一度昔にトライして断念したものを考え直すのは、とても有効だと思う。