数値を追い過ぎると、大事なものを見失ってしまいそう...

数について

【2014年2月記載】

新規事業の事業創出目標を500億円に定め、この目標値を達成するために、日々努力を重ねている。目標値は高い。そして500という区切りのよい、分かりやすい数値となっている。なぜ500億円なのだろうか。500という数字は本当に区切りのよい数字なのだろうか。なぜ499や501ではダメなのだろうか。むしろ499は素数であって、なんとなくこの数値の方に意義がありそうにも思える。

私たちが日頃扱っている数字というものは、ものごとを把握する上でのメジャーであり、それによって、共通認識の下に私たちの生活が成り立っている。だから数字の表現の仕方はどうでもよくて、ものごとのイメージや数量を掴むことができればよいのだ。その時、把握しやすい数字というものがあって、それが10、100、500、1000などである。

しかし、一体どれほどこの10や100に意味があると言えるのか。人間の指の数が両手で10本だから十進法が採用されているのであり、もし私たちの指が鳥のように4本であったなら、1,2,3・・・6,7,10,11・・・17,20と8進法になっていたであろうし、十進法の10は12となり、とても切りのよい数字とはならない。また8進法では、11は素数とはならない。全く持って数値とはいい加減なものである。

東京~大阪間は直線距離で401km。新幹線では2時間35分かかり、走行距離は506km。長さの単位はm、時間はs、質量はg、温度は℃、電流はA、通貨は\、これらの単位を私たちは使って、日々の生活に利用しているが、これに基づくモノの大きさや重さなどは、私たちが勝手にそれを表現しているに過ぎない。どこにもそんな確固たる数値はない。東京~大阪間の距離だって、これをひとつの区切りとして勝手に100kmと決めてもよいのだから。数値そのものには何の意味もなく、全てが相対的なもので、絶対的な数値はない。ただし、円周率や一年の日数といった比較したものは一様に決まる。πや1年365日は、自然が決めた数値であり、これは変えようがない。大昔の人々は、素数を聖なる数値として扱ったようだけれど、一年の日数や円周率の方がよほど価値がある数字ではないだろうか。しかし、一年とは地球が太陽を一回りする時間であり、精確には一定ではないし、整数でもない。またπも無理数であり、数値としては切りが悪い。私たち人間が決めているようなきれいな数値、すなわち整数はほとんど見られない。ましてや切りのよい数値といわれる10や100など、あってもないようなものである。

私たちは、数字というものを教育として教わったから、その概念を理解し、普段の生活の中で使っているけれど、意外とゼロと1そしてたくさんで十分なのかもしれない。モノはあるのかないのか。すなわち0なのか1なのか。あるとしたらそれは1つなのかたくさんなのか。そんなことで事足りたりして...。

数字があるからものごとが定量化できるわけで、単位があるからそれを共有化できるのであり、それによって私たちは目標を定めたり、比較したりすることができる。それによって成長を遂げてきたのだけれど、その過程で、大変な競争が発生したり、とてつもない努力が払われてきたのである。ものごとを数値で表すことはよいことなのか。そこには自ずと競争が生まれ、もしかしたら不要な苦労を味わうことになってはいないのか。せめて切りのよい数字を無くすことができると、随分と数字の捉え方も変わると思うのだけれど。例えば、十進法をとるから、10、100、1000が目標値となるのであって,もしこれが二進法だったら、どうなるだろう。1010、1100100、1111101000となり、何の意味も持たなくなり、目標値が無くなったりして。

モノはあるのかないのか。コトは足りているのか足りていないのか。それはたくさんあって十分なのか。そんな生活があっても良いのでは。