成功の秘訣について長年考えているが未だに分からない。ただ、その感覚は掴めたように思う

論理的なるものの落とし穴

【1998年6月記載】

Oさんの昇格試験用論文を添削した。彼が今までやってきた実績と、これからやりたい事など、仕事にまつわる事項を、背景と課題提起から始まって、目的や目標の設定そしてそれに向けての考え方、取組み内容を簡潔に整理し直した。彼のやっている内容がスウッと頭の中に入ってくるように。

また最近では、当社のバリアフリーコンセプトを立案し、それを今の事業と関連付け、新規事業として拡大させていくためのR&D戦略を、ストーリーだてて提案する作業をしているのだが。

しかし、これで良いのだろうか。今、現実にやっている仕事をシンプルにストーリーだてて、いかにもスッキリとさせる事が、あたかも目標を決めて理論整然とやっている様にする事が、重要なのであろうか。事業計画なり、中長期計画なり、商品戦略策定にしても、明確なポリシーやヴィジョンを持って、それに沿ったベストと思われる人やモノや金の投資計画を立てる事は、成功への秘訣だと思える。けれどそういう綺麗な計画を立てて本当に成功しているのだろうか。

答えは否。もちろんその計画が情報不足、時間不足、検討不足により、十分に完成されたものではない場合が多々あったにしても、それはある程度承知の上での計画であるはずだから、理由にはならない。仮に十分な条件の下で策定されたものだとしても、そういう計画自体、あまりにもいろいろな要素が絡み合った複雑な生活の中で、今の科学レベルでは到底計算し尽くされないものなのかも知れない。

要は、仕事なり事業なりを分かりやすく論理的に分析し、成功への道筋を論理的に構築しても、そういう事自体が、無駄な事ではないかということだ。たとえそのロジックが第三者に分かり易くなったとしても、それでうまく行く訳でも何でもない。ただそのロジックが共有できたというに過ぎない。それをしてロジックをうまく構築する人が偉くて、それが不得意な人は駄目だなんて、ないのではないか。確かに仕事をこなしていくうえで、テキバキと効率よくやっていくには、順序よく筋道を立ててやることは重要であるが。

実際、今までの科学技術は世の中の現象を単純化して捉えることにより、それをベースに技術の応用展開を図ってきて、素晴らしい成功を遂げてきた。しかし、それも限界が見えつつあり、単純な理論やそれらの応用では掴みきれない現象が依然として存在している。商品開発においてもそれは明らかである。

自然の現象を自然のままに、バクッと受け入れ、それらを内部にそのまま蓄積する。それを何度となく繰り返し、自分の内なるものの中で、所謂、直感力に従っておおまかな経験則にしていき、それに基づいて判断をする。それは論理的でないかも知れないが、真実をより的確に捉えていることが多いのではないか。まだまだ人間の理性は、自然界を捉える感性の偉大さに比べれば、とても貧弱なのだ。

商品開発には、限られた情報でロジックを構築するよりも、過去の経験からエイヤッーで決めること、あるいは将来が読めないのなら現実のタマ(質の良さそうなもの)を磨くことが大切だ。

一枚の葉っぱが落ちてゆく。その行方を推論し、落下地点を指し示しても、多くの場合正確に当てることは出来ないだろう。自然現象を、ある理想の条件の下に単純化したニュートンの世界では、この複雑な挙動を示す現象を予測することは、到底不可能である。目標とする地点に葉っぱを落としたいのなら、たくさんの葉っぱを落とすか、葉っぱ自身を鉄の球にするしかないのである。

R&Dも多様性を持った開発シーズをたくさん持つこと、もしくはこれはと感じたシーズにとことん固執することが、成功の秘訣なのであろうか。