情報をコントロールしようとする企業(業界)は衰退を免れない...実際にそうなっていると思う

オープン化

【2007年12月記載】

ここ数年、情報セキュリティへの関心が高まり、社会的にも、社内的にも、情報の取り扱いには多大の注意が払われるようになってきた。特に個人情報にいたっては、一昔前とは比べ物にならないほど、厳重な管理が要請されるようになった。こと当社に至っては、情報管理に対して今まであまりにもルーズであったというのは否めないし、それらは改善されて然るべきものでもあったのだが。

しかし、これが行き過ぎるとどうなるのか。とにかくやたらと秘密情報が増えてくる。何でもかんでも「秘密」の表示をつけてしまう。自分の知らないことが記入されていようものなら、商品企画や開発内容がすこしでも含まれていたら、安全を見込んで「秘密」の表示をしてしまう。実際、サーバーには膨大な量の秘密情報が溢れており、技術企画部門に至っては、8割以上が「秘密」情報になっている。
一方で、「秘密」である以上、その情報を外部へ持ち出す際の手続きも面倒であるし、万一紛失しようものなら、大変なこととなる。特にパソコンの管理は、注意を要することが多く、気軽に出張へ持参することもままならない。

web2.0に代表されるように、世の中のトレンドはオープン化であり、一企業の中で物事は終結するものではなくなってきており、情報というものはより共有しあうものとなってきている。このような情報化社会であるにもかかわらず、企業の制度としては、情報の流れを制限する方向に向かっているのが現状のようである。

『紀元前三世紀とは、偶然にしろ、地球の東と西で大規模な土木事業が始まった時代でもある。
東方では、万里の長城――前三世紀の秦の始皇帝時代に建設された長城だけでなく、十六世紀の明の時代の建設の長城まで加えると、その全長は五千キロにおよぶ。西方では、ローマ街道網――前三世紀から後二世紀までの五百年間にローマ人が敷設した道の全長は、幹線だけでも八万キロ、支線まで加えれば十五万キロに達した。
なぜ、支那とローマは、国家規模の大土木事業をはじめるに際し、一方は長城の建設を、他の一方は街道の建設を選択したのであろうか。もちろん、古代の支那に街道がなかったわけではなく、同時代のローマに防壁がなかったわけでもない。重点が置かれていたのは長城か街道か、の相違である。
―中略―
こうなると、長城を建設した支那人と街道網を張りめぐらせたローマ人のちがいは、国家規模の大事業とはなんであるべきか、という一事に対する、考え方のちがいにあったのではないかと思えてくる。防壁は人の往来を断つが、街道は人の往来を促進する。自国の防衛という最も重要な目的を、異民族との往来を断つことによって実現するか、それとも、自国内の人々の往来を促進することによって実現するか。』※1

次から次へと王朝がめまぐるしく変わっていった支那、これに対しておよそ八百年もの間平和を謳歌したローマ人の世界国家。これは防衛に対する考え方、もっと大きくはその民族の人生哲学の違いによるものと言える。

情報を断つことによって、自社の優位性を保つのか。情報を開示することによって自社の優位性を築くのか。セキュリティ面での課題を克服し、情報のローマ街道網を築き上げることが、企業の繁栄を約束することなのであろう。

※1 塩野七生 ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず[上] 68-70頁 新潮社