年初に’考える’ことは、いくつになっても新たな発見につながる

一年の計は元旦にあり

【2011年1月記載】

この年末年始は、風邪をひいてしまい、ほとんど何もできない状態でひたすら横になり、薬を飲んで、体力の回復を待つばかりであった。

年末年始の休暇に入る前日に、妻と長女は三次の実家へ帰っており、奈良の自宅は次男と私の2人だけであった。三次の義母も歳をとり、年末年始には何かと不自由な事が多くなってきたので、妻と長女は帰らせた。長男は大晦日前には大学近くのマンションから帰ってくる予定であるが、さすがに年末に次男と2人では、寂しい感はぬぐえない。

しかし、家事もそれほどあるわけではなく、時間はたっぷりある。最初の1、2日は、ゆっくり炬燵に入って、のんびりとこの一年間を振り返っていた。日頃の疲れが出たのだろうか。少しずつ喉に痛みを覚え、そのうちに咳が出てきて止まらなくなった。大晦日の午後には、長女も長男も帰ってきていたので、家の中はにぎやかになったのだが、体調が思わしくない。長女は、夕方から高校時代の同窓会があるということで出かけていったので、男3人で外へ食べに出たのだが、外気に触れたのが良くなかった。寒気がしてきて、紅白歌合戦を見るどころではなくなり、一足先に布団に入った。

でも、眠れない。長女が帰宅していないから。夜も遅くなるので、彼女を駅まで迎えに行かなくてはならない。23時過ぎに電話が入った。同窓会は終わったが、これから春日大社へ初詣に行くという。あまり遅くはならないから、と。

大晦日から元日にかけて、近鉄電車は深夜も運転しているらしい。本来なら終電車は24時20分頃なのだが、この日は何時になるのか分からない。年が改まって、午前1時、いくらなんでも遅すぎる。メールをしてみたけれど返事が無い。仕方なく電話を入れてみたけれど繋がらない。ようやく2時前に彼女から電話が入った。2時20分頃、駅に着くという。新年早々、怒るわけにもいかない。結局、元日から体調は絶不調で、精神的にもイライラが募って不安定な状態となった。

「うーん、これはこの一年、先が思いやられるぞ」そう思った。今年は近年になく、重要な年だと考えているので、幸先のよいスタートを切りたかった。でも、仕方が無い。これが現実なのだから。

長女もすまなく思ったのだろう。元日は一所懸命動き回って、洗濯に掃除そして食事の世話まで、想定していた以上によくやってくれた。その日の夜遅くには妻が帰ってきた。やはり主婦がいると違う。それまでの空気や流れが一変した。何もかもが順調に動き出し、生活の歯車が噛み合って、みんなの顔に安心感が漂っている。長女も頑張ってくれたのだけれど、妻の力は大きかった。私もやっと安心して養生できる状態となった。

果たしてこの年はどんな一年になるのであろうか。55才も過ぎて無理の利かない体になっているのに、もともと体力的に劣っているのに、このところ少し頑張り過ぎていた。いくら通勤時間が少なくて済むからといっても、年間2600時間の労働時間は多すぎる。

今年は勝負の年であることに間違いはない。しかし、のっけから予定通りにはいっていないことは事実だし、おそらく一年を通しても、今の状況や今の考え方では順調に行くとは考えられない。どこかで破綻をきたすに違いない。どこかに工夫が必要だ。まず、私のやるべきことを昨年よりも少なくすること。そして、労働時間を短くして、1ヶ月200時間を超えないようにする。そのためには部下を上手に使う。チームリーダークラスにもっと仕事をしてもらう。報告書はできるだけ彼らにつくらせる。テーマ運営や人材育成ももっと彼らに考えさせ、行動してもらう。チームリーダーより先に帰宅するように心がけよう。無駄に時間を消費しない。消費させないためにもメンバーの時間管理は詳細にチェックしてみるのも一案だ。とにかくグループ、チームの全員の力をフルに活用することだ。メンバーの力を借りることは、私のためだけでなく、メンバー自身の力をつけることに繋がる。それだけの協力を得るためには、動機付けも必要だし、教育もしなければならないから、チームリーダーやマネージャークラスの自己成長にも繋がる。

何でも私自身がやるのが一番手っ取り早いし、完成度も高い。しかしそれでは何ひとつ進歩はしない。無理にでも部下にやらせることは、組織として成長するために大切なことだ。人の力を借りるのはどれだけ大変なことか。単に仕事を振って、それをやってもらえば力を借りたことになるとは言えない。本当の意味で、自分には無い他者の良いところを発揮してもらい、全体として仕事を効率よく、効果的に進めるには、一様に分担すれば済むというものではない。

力を借りるためには何が必要か。まず目的を共有化すること。一体私たちは何のために何をしなければならないのか。それをすればどんな良いことが待っているのか。を、他者と共有しなければならない。次に、仕事を適切に振り分ければそれでよいかというと、そうでもなく、やはり自らも、腕まくりで共に仕事をしなくては、真の意味で共感して働いてもらえるものではない。そして最後に、評価をしてあげること。その仕事での成果を、自らに帰するのではなく、力を借りた人たちのものにしてあげること。人はみな、評価されたいのである。自分の成果まで他者に分け与える姿勢がないと、人は動かない。

このように、今までの反省と新たな取り組み姿勢を考えることができたのであるから、この年末年始は風邪でダウンしていたけれど、あながち全く棒に振ったわけでもなさそうだ。思いのほか、成果があったのかも知れない。これを機に、私ひとりの力では何もできないことが分かったのだから。「一年の計は元旦にあり」