席を譲る方も、そして譲られる方も、気を使うのは仕方がないけど、その時の態度に人柄が出てしまうね
通勤電車
【1996年4月記載】
わが家から会社までは、近鉄電車に乗って最寄りの駅から会社のある駅までおよそ20分弱。朝は途中のターミナル駅までの2駅、約5分間を我慢すれば、あとは楽々と座っていける。もちろん帰りはいつも夜が遅いので、完全に座ることができる。通勤時間も片道40分と比較的楽な方であり、出来ることなら今の職場を変わりたくないという気持ちがあるのは否めない。時々奈良から大阪の方へ出張することがあるが、やはり立ったまま1時間電車に乗るのは痛勤以外の何ものでもない。
朝は心身ともになかなか目覚めた状態にはならないので、私はいつも電車に座っている間は寝ることに決めている。寝るといっても単に目を閉じて、頭の中をボーッとさせているだけなのだが、意外とこれで気持ちがシャキッとする。だからできるだけ電車の中では一人でいたい。たまに会社の人と一緒になったり、近所の人に偶然出くわすと全く知らないふりもできないので、何か話題を作ってコミュニケーションを図らなくてはと思ってしまい、少し苦痛になる。そして何とはなしに、その日のリズムがうまく作れなくなってしまう。
だから電車の雑踏の中でも、一人でゆっくり座れるとホッとする。体力的にも立っている時よりも負担が少ないから、自然と気持ちがリラックスするのだろう。しかし座っていてもリラックスできないこともある。お年寄りやハンディキャップを背負った人が乗ってこられると、途端に「こうしては居られない。席を譲らなくてはいけない。どうしよう」とうろたえてしまう。見るからに年寄りと分かる人が私の前にこられた場合は、意外と簡単に席を譲ることが出来るのだが、そうでない場合、例えば私の座っている2、3人隣だと「はい、どうぞ」とはいかない。私の心の中で、その2、3人隣の人が席を譲るべきであって、わざわざ私が立つことはない。かえって当てつけがましくなるのではないか。と自分の楽な方向に気持ちが向いてしまう。私もやっぱり自分の事しか考えていないのが良く分かって妙に落ち着かなくなる。そして結局は何もしないで、そのまま眠った振りをしてしまうのが常なのだが。
先日も私の座っている前に、中学生と小学生の姉妹が乗り込んで来た。
「何だか変だな。おかしいぞ、少し元気が無いのかな?」
妹の方を良く見ると、名札にろう学校2年生と書いてある。
「こういう場合はどうなんだ。やっぱり席を譲った方がいいのかな? だけど、小学生に席を譲ったというのも聞いた事が無いなぁ」
と思いながらも、ついに何をすることもなくやり過ごしてしまった。
一方、こんな場面に出くわしたこともある。4月の初め、この季節は新入学生が多く、電車も何故かこの一時期だけ、急に混んでくる。そんな中いつもの様にターミナル駅で、大阪方面への乗り換え客が大勢下車し、新たに新入学生とおぼしき一団が大量に乗り込んで来た。なんとはなしに辺りを見やっていると、入社時の寮生活でお世話になった先輩で営業のTさんが立っているではないか。どうも様子が変だ。高校生に席を譲られて困っているみたいである。
「いやぁ、わしはそんなんじゃあないよ」「ありがとう。でも結構だよ」
どうやら新高校一年生がTさんを年配者と思い込んだらしく、席を譲らねばと声をかけたらしい。かわいそうなTさん。まだ40代半ばで、一見こわもてだがハンサムなバリバリの営業マン。どちらかというと少し痩せ気味なので、ちょっとフケて見えるけれど、とても50や60歳には見えない。こういう時の気持ちはどんなだろう。一旦は席を譲ろうとした高校生も断わられて少しバツが悪いし、方や自分ではちっとも席を譲って貰うほどの年寄りではないと思っている者にとっては、頭をガーンと叩かれた様な何とも表現できないショックを受けたのではあるまいか。 こういった気まずい状況の時にはどうすれば良いのだろう。お互い黙ったまま、そういった場が過ぎていくのを待つのが良いのか。あるいは互いに何もなかったものとして知らんぷりを決め込むのが良いのか。私もどうすれば良いのか、遠くから一緒に悩むとはなしに悩んでしまった。
それでも下車する時には、結局立ったままの状態で「ありがとう」と、Tさん。流石さっぱりした人柄の、気持ちの良い態度で、嬉しかった。