学生時代の友は、一生の友
横田一成
【2021年11月記載】
そろそろ年賀状作成の準備をしなければならない時期となった。しかし最近は若い人を中心に年賀状を出す習慣も薄れてきているのと、私たちの世代はすでにリタイアして、仕事上の付き合いも無くなってきているので、年毎に年賀状の枚数は減ってきている。また11月になると喪中はがきが来るようになるが、喪中はがきも心なしか増えてきているようで、少しずつ付き合いの範囲が狭くなっているようだ。
先日、いつものようにテレワークで机に向かっていると、玄関口で妻の声が聞こえた。とても驚いた口調で、ブツブツと何か怒っているようである。少し気にはなったが仕事中なのでそのまま机に向かっていると、妻が部屋に入ってきて横田さんが亡くなったという。
「喪中はがきが来ていたので、誰から来たのかと確認したら、横田さんからとなっている。しかも奥さんからとなっている。あれっ、と思って見ると、横田さん本人が亡くなっているのでびっくりした」
まさか、あの横田くんが亡くなったとは…。にわかには受け容れ難かった。
横田一成 島根大学名誉教授 5月6日に他界 65才
彼とは高校から大学の7年間を、同じ場所で同じ時間を一緒に過ごした。浜田高校理数科では3年間同じクラスで勉学に励み、大学受験を目指してしのぎを削った。二人とも邑智郡川本町出身であり、親が教員だったので、同じような境遇だったといえる。大学も学部は違うけれど同じ大学を一緒に受験した。彼は当然のように合格し、私は運に恵まれての合格だった。
ともに下宿生活を送る中でよく一緒に遊んだ。B級映画を徹夜で観たり、人気のないパ・リーグの野球観戦に西宮まで行ったり、そして下手な将棋を良く打った。暇な時はいつも彼の下宿に行ったのだが、彼はいつも勉強をしていた。だから私の存在は少し有難迷惑ではなかったのかなとも思っている。当然成績はとても優秀だった。しかし、体調を崩したこともあり就職はせずにそのまま大学に残った。その後、若くして徳島大学に助教授として迎えられ、その後島根大学に教授として移り、つい最近まで教鞭をとっていた。
私の学生時代において、一緒に過ごした時間が一番多かったのは横田くんだった。そして一番多く語り合ったのも彼だった。直接的にどんな影響受けたのか、私には分からない。けれど、彼の勤勉さや反骨精神は独特のものがあった。私を形づくっているモノの中で、彼の思想や哲学はきっと重要な位置を占めているはずである。とても濃縮された学生時代の7年間であったのだから。ただ、卒業してからは、互いの結婚式に出席した程度でゆっくりと話をしたことはなかった。もう少し時間が欲しかった。