子どもたちは科学技術の未来に希望を抱いてはいなかった...そして、それは残念ながら正しかった!
本当の豊かさとは何か ―人の生きる目的とは何か―
【1999年8月記載】
我が社はとても良い企業活動をしている。毎年夏休み期間中に、技術本部にある技術館を子どもたちに開放し、最新の電気製品や技術を紹介するとともに、簡単な工作教室を開いている。子どもたちに科学技術への関心を深めてもらい、またその面白さを味わってもらおうというものである。子どもたちにとってはいい刺激になり、将来を考えるうえでその効果はとても大きいと思われたので、私も息子たちを参加させてみた。ところが小学6年生の長男の感想を聞き、考えさせられてしまった。
「自分で動かなくてすむので、人は目と耳と口と鼻くらいしかいらなくなる。まあ、こうなれば人間だめになってしまう」
こんなことは予期していなかった。“お父さんの会社はすごいなあ。いろんなロボットや便利な製品を作っているんだね。ぼくも将来はいろんな新しいものを発明したいなあ”といった父親に対する賛辞、父権復活につながるような感想あるいはこれから一所懸命勉強しようといった類の発言を期待していたので、びっくりした。予想以上の反応にとてもうれしく思ってしまった。しかし、このような言葉が子どもの口から出てきたということは、今まで利便性をひたすら追い求め続けてきた企業に対する批判的な風潮が、社会の根深い所にあるに違いない。もはや人間としての幸せを如何に実現していくかを、今までの物質的な利便性にだけ求めるのは許されない状況に来ているのではなかろうか。
人として生まれた私たちの目的は次の二つであると言われている。すなわち、
①次の世代を残すこと →生きるということは、生きていることを次世代に伝達する責任を負う
②人生を楽しむこと →文明を育て、寿命を延ばし、個別の生をより長く味わい深いものにする
しかし、私たちは生命系の中でのヒトという立場を無視して、ひたすらヒトだけの快楽を追求してきた。その結果、生物としての必要最低限以上に、資源とエネルギーを消費して生きるようになってしまった。また一方で、生きるものとしての本質的な楽しみ方を自ら問い続けることなしに、いつしかそれをも見失ってしまったのではなかろうか。
人として本当の豊かさとは何だろうか。人として生きる目的を全うすることであり、人生の楽しみ方を再度問い直すことにあるのではなかろうか。生命系を考慮した資源とエネルギーの効率的な利用と私たちの文化や生活をより味わい深いものにつくり上げていくことにある。企業として世の中に貢献していくためには、従来の物量的ハード指向から、よりハードを上手く使いこなすソフト的価値の追求をすべきであり、ハードとしての商品はより長寿命、コンパクト化をめざしていくべきである。そして心の豊かさ、文化創造に向けての時間やゆとりを生み出す商品や生活インフラの充実がさらに重要となってくるであろう。
こういった取り組みに向けては、今までどおりの考え方や現状の延長線上でのやり方では、何も新しいものは生まれてこない。もっと現状の生活を根こそぎ否定するようなところからのアプローチが要るに違いない。例えば、CO2排出量のおよそ半分を占めている自動車を使わないような新しい社会システムを考えていくことも、真の豊かさを取り戻すためには有意義なことではなかろうか。

