四半世紀前は携帯電話がそうであったけれど、その風土が会社をダメにした...と今では確かに言える

携帯電話 その2

【2002年5月記載】

「自分の都合で仕事をしてはいけない。何を第一に考えるか。それは常にトップの意向を何事にも優先して考えるべきだ。社長が何時何処で何をしたいと言えば、何を差し置いてでも、それに合わせて自らの行動を決めるのが当然だ」

研究所長は、副社長への報告に際して、私が十分に副社長の意向に沿った資料を提供しなかった事に対して、こういう内容の厳しい注意をしてくれた。
「副社長報告の10分前に、副社長の意向を聞かせてもらっても、それからでは手の打ちようがないではないか…」
という反感は覚えたが、寺井所長の言っている内容は的を得ていると思った。その時は…

それから数日後、
「きみの携帯にいくら電話しても出ないじゃないか。今まで私が携帯に電話しても、ほとんど出たことがないじゃないか。どうしたんだ」
研究所長からオフィスに電話が入った。
「あっ、どうもすみません。今日はたまたま家に忘れて来てしまったんです。でも、今日は1日オフィスに居る予定でしたので、支障はないと思っていたんですが」
「もういい、きみ専用の携帯を持て。費用的にしんどいようだったら、受信専用の携帯で安いのがあるからそれを持ったらいい。なんなら会社で買ってやってもいい。とにかく携帯を持て、これは所長命令だ!」
「えっ? はい、分かりました。これからは毎日きちんと持つようにします」
それから30分後、所長は奈良のオフィスに現れた。そして先ほどの電話で私に入手を指示した、明日予定している会議の事前情報についてヒアリングをおこなった。わざわざ携帯に電話しなくても、普段どおり準備して待っていたものを…。全く緊急を要する類のものでもなかったのに…。

 翌日、空調研究所でY所長と全社プロの推進に関して打ち合わせをしていると、携帯電話が鳴り出した。
「もしもし、○△です」
「あっ、○△ちゃん。ようやくと言うか、初めてまともに携帯に出てくれたなぁ。うれしいなぁ。もうこれだけで十分満足だ」

いつものように、人を小ばかにしたような甘ったるい猫撫で声が聞こえてきた。それも、そうだろう。緊急且つ重要な用件なんてものではないのだから、私が携帯電話に出ただけで気分がいいのだろう。デザインのN部長へ携帯が繋がらないので、代わりに伝えて欲しい事があるというもので、別に私へ電話してくるような内容でもなかった。私はただの伝言役として使われたにすぎない。気がついたときに指示しておかないと、所長自身が忘れてしまうから、ただそれだけの理由で次から次へと電話をしているようである。まるでメモ代わりのように…。なにも研究所長だけに限らず、副社長にしてもそうだし、他の部長たちもみんなそんな感じである。気がついた時に指示すればそれで安心なのだ。

 思いついた時にそれをやらせる。あまり自分で良く考えもせずに携帯電話を使うから、指示した内容がその場的で、そのたびに部下は右往左往させられてしまう。へたに指示に対して疑問に思うところを指摘したり、自分の意見を言おうものなら、とんでもない事になるのである。「上司の命令には従え」「何を置いても、その指示を最優先で行なえ」という、暗黙の規律があるからだ。

 今の携帯電話の使い方は、部下を奴隷のように扱う封建的な考え方に基づいているように思えてくる。「着信専用でいいから携帯電話を持て」とは、何を考えて発言しているのかと疑いたくなる。一人ひとりの個性を活かして、のびのびと仕事をするという雰囲気は、こんな風土からは生まれるはずがない。「上司の命令を優先しろ」とは、「俺の言うことを聞け」という以外のなにものでもなく、こういう職場ではいい仕事ができるはずもなく、いい商品が生まれることもないだろう。今、我が社は上層部から腐ってきている。