受験シーズンですね。少し偏った見かたですが、大学入学共通テスト(大学のランク付け)はやめて欲しいなぁ...
出題ミス
【2018年4月記載】
京大と阪大で、昨年の入学試験にて出題ミスがあったとして、京大で17名が、阪大では30名が追加合格になった。しかもこのミスへの対応が悪く、1年近く経過しての追加合格措置がとられたと言うことで、批判が出ている。
対策として、試験問題の点検を3回から5回に増やすとか、入試業務を専門に扱う職種を新設するなどの取り組みがなされるという。
受験生にとっては、平等なる環境の下に、試験を行い、公正な評価でもって、合否を判断して欲しいという願いは当然のことながらあるし、大学側としてもそうしなくてはいけない。それは分かっている。が、何となく釈然としない。私の感覚、感情として、あまりにも入試に注力し過ぎてはいないか。公平と言う概念にとらわれ過ぎて、入試というものが必要以上に制約され過ぎてはいないか。入試でがんじがらめになって、選ぶ側の自由度がなくなり、その分、大学の個性、独創性が殺がれるのではないか。大学が萎縮してしまう…。
そもそも、入学試験は何のためにするのか。何を目的としているのか。その対象となる学校で学びたいと思う学生はすべて受け入れて、勉強させてあげるのが理想だけれど、現実には、人気のある学校には多くの学生が集まるし、それを収容する限界はある。たとえ入ったとしても学習内容のレベルに合わない学生やついていけない学生は、受け入れ難い。そこで定員というものができて、それに収まる人員に絞るために、また学習するに見合った学力があるかどうかを調べるために、選抜用の試験があると解釈している。特に大学というものは学問を究めるとともに社会に役立つ人材を育て、世の中に送り出すことが使命だとすれば、その学校の教育方針、研究ビジョンに適している人材を選ぶのは当然であり、学校の選抜方針や方法を尊重するべきである。
その過程で、公平性を担保するのは基本だと考えるが、あまりにそれを厳密にし過ぎても、いわゆる“重箱の隅をつつく”ようなことになって、労力を多く費やす割には、肝心の所が抜け落ちてしまうことになりかねない。すなわち、本来の学校教育や研究への情熱、それにふさわしい教育者や研究者と学生とのあり方を考え、取り組むことが疎かになってしまいかねない。
試験の合否に関して、その線上の人には運不運があるということをみんなが認めればよいことであり、合否スレスレの受験者に対する公平性を厳密にしてもしなくても、大差はないと考える。
出題内容を厳格に精査し、非の打ちどころがない問題を出すためには、相当の手間と時間が要るだろうし、当たり障りのない機械的な問題となってしまいそうだ。とても独創性のある問題が出るとは思えないし、それこそ杓子定規の型にはまった人間を選び出すことになりかねない。問題づくりに注ぐエネルギーを考えれば、大学にとって必ずしも良いはずがない。
出題者が、自分の意図する方向で、自由な発想で、解答者と渡り合うことに意味があり、それによって学校の個性が発揮され、それに相応しい学生が集まってくる。このことの方がより大切である。
何をもって出題ミスというのか。問題の解釈に仕方によって、違う解答が出るとか、複数の答えになるとか、厳密には解答できないとか…。出題の表現が曖昧であり、正確な表現になっていないため、解答できないとか…。
こんなのは、解答者の見識で持って判断すればいいし、答えはいくつあっても構わない。それで迷ってマゴマゴしている受験者がいても、それだけの力量なのだから、仕方がない。合格できるほどの力を持っている学生は、当然合格しているはずだし、多少の点数の違いで落ちる学生は、その程度の者だったと自戒すればいい。
私は、高校、大学、大学院と3度の受験経験がある。高校と大学はスムースに行ったのだけれど、大学院受験には失敗した。この大学院受験では、筆記試験で合否が決まるのだが、その筆記試験を受けた後に、合否通知を言い渡す個人面談があった。その際に、教官から告げられたひと言は今でもはっきり覚えている。
「キミ、残念だったなぁ。1点足りなかった。次点だよ」
(えっ、そんなのあんまりだ。何とか合格にしてよ。次点だったなんて言わずに…)
一方で、この試験後に、一部の研究室の学生には、事前に問題の一部が流出していたという話が広がった。それを聞いた時は、なんて不平等なんだと、おおいに不満だった。しかし、なんともならないのは分かっていたこともあったけれど、それよりも自分の力が足りなかったことを反省した。本当にそう思った、勉強が足りなかったんだと。おおよそ受かりそうな奴はみんな受かっていたのだから。
この時は相当に落ち込んだ。研究室の先生も、私に対してもう1年頑張って再受験しろとは言ってくれなかったこともあり、自分の力はそんなものかと思わざるを得なかった。夏休み中、一所懸命勉強し、それなりの努力はしたけれど、もっと日頃から、大学入学時からきちんと勉強していれば、こんなことにはならなかったはずであり、その努力を怠った自分が悪い。
確かに、1点で人生を歩む道は変わるかもしれない。しかし、どの道を歩もうが、それで人生が台無しになったり、極端に上手く行ったりするとは思えない。その道を歩く自分がどうなのかがもっと重要だ。本当に歩みたい道があるのなら、その道を歩くための努力をするべきであり、1点や2点の差で変わるような道なら、その人の人生にさしたる影響はない。
ところで、就職試験はどうなのだろう。筆記試験もあるけれど、ほとんどが面接試験で決まっている。これはどういうことなのか。企業の思いで、主観的に決めてもいいということにほかならない。企業風土に合わない人はお断りなのである。大学もそうすれば良い。センター試験みたいな大学ランク付け&学生ランク付けテストなんてやめて、大学独自の筆記試験と面接試験で決めた方が、よほどその大学の個性が発揮できていいと思う。